バドミントン、五輪レース続行の福島由紀「やり切ることが大事と思っていた」=単独インタビュー

平野貴也

廣田の迷いに困惑と驚き

――活動拠点の岐阜に戻ってから、どのような話をしましたか

 うーん。廣田は(試合を)やりたいとは言っていました。だから、スタッフは、今後の準備が必要になるので、どの大会に出るのか、行くならトレーナーの帯同が必要だ、移動もビジネスクラスが必要だ、現地での練習をどう調整するか、など具体的に話を進めようとしていましたが、廣田は、多分、まだ迷っていたんじゃないかと思います。12月の全日本総合選手権や、24年1月のマレーシアオープンには、(保存療法で準備するとしても)間に合わせられないと言っていました。それなら、いつ、どの大会でやりたいのかという話になって、廣田は考え込んで「福島先輩の気持ちを考えて……」とか「福島先輩の体が……」と、私の心配をしてくれていましたけど、今井彰宏監督から「お前の気持ちを聞いているんだ」と言われたら、廣田が「手術をしたいです」と言ったので、かなりビックリしました。

――話し合いの中で、意見が変わったから?

 スタッフと一緒に話し合う前日に、廣田と2人で話をしました。そのときも、廣田は試合に出たいと言っていて、どういうふうに? いくつか大会を選んで出たいということ? と聞いたら「はい」と言っていました。そのときに、廣田から「福島先輩の気持ちを教えてほしいです」と言われました。私は、まだ五輪出場のチャンスが十分にある、とは、もう考えていませんでした。(今までと同じように戦うのは)無理だろうし、廣田も動きたくても動けないだろうし。でも、やっぱり、やり切ることが大事かなと思ったので「私は、1大会やりたい」と言いました。もうやらないという選択は違うかなと思いました。そこを目指してきたのに、それで終わっていいの? という気持ちがありました。

――五輪という大きな目標を失う場合、引退を考えても不思議がないと思いましたが?

 バドミントンを引退することは、考えていなかったです。廣田とのペアについては、廣田が手術をして復帰をしても、そこからまた(今まで通りに)試合に出続けることは難しいのではないかと思いました。でも、2人でやってくる中で、いろいろな方がサポートしてきてくれたので、やっぱり最後に「フクヒロ」として、ケジメはつけたいという気持ちもあり、1大会やりたいと言いました。

――2人の気持ちを互いに知った上で、スタッフを入れた会議になったわけですね

 そうです。でも、次の日にスタッフと一緒に話し合ったとき、廣田は最初に「1大会やりたいです」と言ったんです。そのときに「え? 昨日は、いくつかの大会を選んで出たいと言っていたのに」と思いました。スタッフが、1試合だけなら、五輪レースは諦めて、エキシビションでも良いのではないかと言うと、途中から「それでもいいです」とも言っていました。どうしたいのか、分からなくなっていたと思います。

――聞けば聞くほど、違う意見になっていくような?

 そうですね。みんな、廣田の気持ちを聞きたいと思っていましたけど、廣田の中では、自身の考えよりも申し訳なさが上回ってしまっていたと思います。だから「自分がやると言ったら、福島先輩が(いつも以上に)動かないといけない。それで福島先輩がケガをしたらどうしよう……。この状況なのに試合をやりたいと言うのは、おこがましい」みたいな感じで申し訳なさをすごく持っているというのは、めちゃくちゃ感じていました。

 廣田が手術を望んだことで、一度は方針が決まった。福島は実家に戻り、家族や周囲の人に報告をしていた。しかし、中には「福島は、本当は五輪に挑戦したがっているのに言い出せなくなっている」と感じて、チームに連絡をする人もいた。そのため、チームのスタッフは、本当に後悔がないのか、疑問に思い始めていた。年の瀬の12月29日、福島には、吉富桂子コーチから最終意思確認の電話がかかってきた。翌30日に全日本総合選手権が終わると、24年の日本代表選考が始まる。当面、試合に出場しない方針ならば、日本A代表を外れる可能性がある。五輪レースを戦い続ける選択ができる最後のタイミングだった。

廣田が手術回避を決断するも「無理に落とした気持ちを上げるのがきつい」

――廣田さんが手術をせずに試合をする方針に変わったのは?

 12月29日に、吉富コーチから電話がきて、最後のタイミングだから、今、この電話で決めてほしいと言われましたけど、全然、決めきれませんでした。ただ、私自身は、やらずに後悔するよりは、やっても五輪に行けるかどうかは分からないけど、やることに意味があるかなと思いますという話をしました。

――廣田選手が手術回避を決断し、パリ五輪への挑戦は続くことになりました。「戦えずに終わるより……」という気持ちに沿う形にはなりましたが、紆余曲折があり過ぎて、気持ちはまだフィットしていない?

 まったく、その通りですね……。さすがに、切り替えが難しいなという気持ちが、今はあります。(一度は手術が決まり、戦えずに五輪レースを終えなければいけないと理解して)気持ちを無理に落としている分、もう一度上げるのがすごくきつくて……。

――方針転換してから、廣田さんとの会話は、チーム始動日の1月4日?

 そうですね。めっちゃ話したというわけではないですけど、廣田から「何回も(意思が)変わって、すいません。もうラストチャンスなので、頑張ります。よろしくお願いします」と言われたので、私も「お願いします」と言いました。

「泣いてるところばかり、撮らないでくださいよ(笑)!」 【筆者撮影】

――今後ですが、3月のフランスオープン、全英オープン、4月のアジア選手権が目標になると思います。もう、やる気になれていますか?

 言いづらいですけど、まだ、そんなには、なれていないのが本当のところです。今は、1カ月くらい練習していなかった身体を動ける状態に戻そうとしています。1月末のタイマスターズに後輩と組んで出るので。でも、試合が近付いたり、始まったりすれば、自分はきっと頑張るだろうと思っている部分もあって(気持ちが入らないまま試合を迎える)心配は、あまりしていません。サポートしてくれている方々に方針転換を報告したとき、多くの人が「やってくれることになって良かった」と言っていました。今は、自分のためにという気持ちでは頑張るのが難しくなってしまっていますけど、自分たちを支えて来てくれた誰かのことを思えば頑張れる気がしています。

――ケガをした状態で戦う廣田選手も厳しいですが、カバーする福島選手も厳しい戦いを強いられます。残りの五輪レース、どのような思いで臨みますか

 廣田が今までのようには動けないのは分かっていますし、相手にそこを狙われるのも分かっています。そこは、もう仕方がない。ただ、試合をするだけでも簡単なことではないですけど(五輪レースのポイントを計算せざるを得ない)ほかの選手たちとは違う気持ちで戦えるかなとも思っています。ほかの選手は、勝てないとヤバイけど、私たちは、もうすでにヤバイので(笑)。試合をやってみて、1回戦負けだったとしても、そりゃそうだよねと納得する。私たちは、廣田があの状態でどれだけ動けるのかということと、自分がどれだけカバーできるか。ただ、それだけ。覚悟を決めて最後までレースをやり切ります。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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