キーマンが語る町田のJ2制覇とJ1昇格 奥山主将が振り返る変化、競争と感謝

大島和人

奥山(前列右)はキャプテンとして町田のJ1昇格に貢献した 【(C)J.LEAGUE】

 町田のJ2制覇、J1昇格を振り返るインタビューシリーズ第2回目は、キャプテンの奥山政幸選手。現在30歳の彼はレノファ山口でプロのキャリアをスタートさせたがなかなか出番を得られず、半ば「拾われる」形でプロ2年目の2017年に町田へ移籍した。サイバーエージェント経営参画前の「環境に恵まれないスモールクラブ」だった時期を知る選手だ。

 クラブが成長する中でも手堅いプレー、対人守備やカバーリングで出番を勝ち取ってきた。左右のサイドバックやセンターバック、ボランチをこなす守備のユーティリティとして、在籍7シーズンで260試合に出場している。今季はシーズン半ばに加入した鈴木準弥に定位置の右SBを奪われ、先発から外れる試合が増えた。それでも実直でバランス感覚のあるリーダーとしてチームを支えていた。

 このクラブで7シーズンを過ごしている彼だからこそ感じる過去と現在の変化、背負うクラブの歴史や思いがある。今回はそんな奥山選手の言葉をお届けする。

刺激、変化で「思い」が植え付けられた

――奥山選手はFC町田ゼルビアに加入して2023年が7シーズン目です。2022年はチームが15位に低迷して、ランコ・ポポヴィッチ監督やコーチ、多くの選手がチームを去りました。そこをどう受け止めていましたか?

 もちろん優勝を目指してやっていましたけど正直、今のこの状況は思い描いていなかったです。去年は残り10試合の虚無感というか、そういうものを感じながら終わった、尻すぼみのシーズンでした。体制がガラッと変わって唐井(直/前GM)さんもいなくなって、「一つの時代が終わった」ではないですけど、節目ができた。そこで上手く切り替えられたのかなと思います。

――去年の苦しいシーズンがあったからこそ、変化を前向きに受け止めやすかった部分もありますか?

 「何かしら変えなければいけない」と、多分みんな感じていたと思います。その中で「J1を本気で目指す」となり、クラブも藤田(晋)さんが社長になって、黒田(剛)監督や原さん(原靖フットボールダイレクター)を呼んできました。補強もすごい力が入っていて、僕たちはJ1を目指す思いを外からの刺激、環境の変化で植えつけられた感じでした。

キャプテン就任に驚き

奥山は選手の「投票」でキャプテンに選出された 【スポーツナビ】

――発表はキャンプが終わって開幕前の2月12日でしたが、奥山選手は投票でキャプテンに選ばれました。そこはどう受け止めていましたか?

 個人的になると思っていなかったですし、投票というスタイルにも驚きました。ただ投票だからこそ「やらなきゃいけない」という責任感も芽生えました。自分が苦しいときにもみんなを頼りやすいというか、うまく支えてもらいながらやれるのかなという感覚でした。

――奥山選手は行動や言動がしっかりしているし、キャプテンのキャラだと感じますけど。

 名古屋グランパスのユースでやりましたけど、まあ「副キャプテンキャラ」って感じですかね(苦笑)。「キャプテンを助ける」という感じで、ずっと生きていきました。

――人が多く入れ替わって間関係やコミュニケーションの難しさはあったと思いますけど、選手たちを一つにする作業とはどう向き合いましたか?

 残った選手が非常に少なかったので、グループ的なものもなかったですし、逆に僕たちが新加入くらいの感覚でした。まずそれがあって、変に固まらずにうまくミックスしながら、既存の選手とうまく打ち解けられました。これだけ選手が入れ替わるほうが、組織を作る上ではやりやすかったのかなと思います。

スタッフ、練習はどう変化?

――サッカー、指導ともスタイルが変わったと思いますけど、そういう変化は選手からどう見えましたか?

 スタッフが増えると単純に見てくれる目が増えるので、選手としては非常にありがたかったです。 (金)明輝さんはJ1の基準を知っていて、もっとやらなければいけないと厳しく要求してくるタイプです。山中真さんのように選手に寄り添いながらやってくれる人もいて、本当に様々なキャラクターのコーチがいました。選手としては刺激をもらいながら日々を過ごせました。

 去年はどうしてもポポさん(ポポヴィッチ監督)の存在が大きかったと思います。今年は黒田さんの意見が占める部分はもちろん大きいですけど、スタッフ陣の様々なアプローチがあって、選手も多角的にサッカーを見つめることができました。

――黒田監督の練習は1つ目、2つ目、3つ目とパートがあって、パートによってはユニットごとに別れてそれぞれコーチがついて、最後はまた一つにまとめて……という感じで整理されていましたね。

 おっしゃるようにトレーニングの1つ目、2つ目から、最後のゲームまでのつながりを強く感じられます。各セッションのコーチ自身もおそらく指導しやすいと思いますけど、僕たちも一つの練習メニューごとに狙いを説明してやってくれるので、やりやすい1年でした。

町田の苦手と得意

秋田は町田が今季初の敗戦を喫した難敵 【(C)J.LEAGUE】

――キャンプ中のトレーニングマッチは全てJ1が相手で、しかも全勝で終えました。手応えはどうでしたか?

 黒田さんは特に守備面のところで「腹で見る」「相手との距離は1.5メートル」といったことを言っていました。そこまでの(細かい、初歩的な)指導をされたことがなかったので、「本当にこれで大丈夫なのかな」という半信半疑な気持ちがありつつ、キャンプを通じてJ1も相手に結果を出し続けられました。みんなも「なぜ勝てるんだろう」という不思議な感覚がありながら、その事実は僕たちに自信を与えてくれました。無敗で行けたことが開幕からのスタートダッシュにもつながったと思いますし、シーズンを通しても「この戦い方でいける」という自信になりました。

――今季の町田は好調なスタートを切りましたが、4月8日の第8節・ブラウブリッツ秋田戦で初の敗戦を喫しました。それがチームにとっては最初の壁でしょうか?

 そうですね。最初に負けた秋田戦は印象深いです。(町田と)似た志向というか、秋田さんの徹底度合いはリーグでも一、二を争うものがあると思います。他に(3月26日の第6節)いわきFC戦も苦戦しましたけど、逆に僕たちが何とか耐えて、最後に1点を取って勝てました。ただ秋田戦は相手の圧、執念に押し負けて、0-1で敗戦を喫したわけです。似たスタイルの相手に、僕たちが同じ土俵で戦っても力負けしないことが大事になるなと感じされられた試合でした。

――相手が丁寧につないできて、町田がチャレンジャーとしてぶつかった試合は意外とすっきり勝つ。でも相手がチャレンジャーとして向かってくる試合は難しくなるという印象がありました。

 まあ(つないでくるチームは)自分たちの色が出しやすいというのは確実にあります。大分さんだとか、清水さんのように丁寧に動かしてくる相手には、やっぱり自分たちのハイプレスとかが活きたと思います。逆に背後を徹底して突いてくるチームは、プレッシャーをかけても肩透かしのようにかわされて、裏返されてしまう部分がありました。

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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