湘南・阿部浩之×川崎F・登里享平が特別対談 国立開催の神奈川ダービーへ持つべき自信とは?
家族ぐるみで交流のある2選手が国立決戦を前に対談 【佐野美樹】
阿部が考えるチームに適応する方法
高校でともにプレーしていた?可能性もあった2人、対談は終始なごやかに進んだ 【佐野美樹】
阿部浩之(以下、阿部) いや、少し前にも会っています。家族ぐるみで仲が良くて、僕ら以上に、妻同士のほうが頻繁に連絡を取り合っているみたいです(笑)
登里享平(以下、登里) だから、阿部ちゃんが名古屋グランパスから湘南ベルマーレに移籍することが決まったときも、妻がかなり喜んでいました。近くなるって(笑)
――阿部選手が2017年に川崎フロンターレへ加入し、2人はチームメートとして3年間を共に過ごしました。関西出身の1学年違いということで、その前から面識はあったのでしょうか?
登里 阿部ちゃんは大阪桐蔭高校なんですけど、実は僕もそこの学校のセレクションを受けていて。だから、もし僕が香川西高校ではなく、大阪桐蔭高校に進学していたら、阿部ちゃんは1つ上の先輩になっていた。まあ、小学生のときから、エントラーダSCの選手として、阿部ちゃんのことは認識していたんですけどね。オレンジ色のユニフォームだったでしょ?
阿部 よく、そんなことまで知ってるな。これは初耳やったわ(笑)
登里 でも、初めての接点は、2010年にU-21日本代表の活動で、トゥーロン国際大会に参加したときだよね?
阿部 うん。とはいえ、U-21日本代表のときも、そんなにしゃべってないよね。だから、仲良くなったのは、俺がフロンターレでプレーしたときから。(2017年に)加入が決まったときも、ノボリ(登里)しかおらんなと思って、真っ先に連絡しましたから。練習初日に待ち合わせして、グラウンドまで連れていってもらいました。
登里 えっ、ホンマに? その記憶は抜け落ちてるわ(笑)
――阿部選手が加入したときに抱いたフロンターレの印象とは?
阿部 加入する前から、良いサッカーをするチームだと思っていましたけど、いざ自分もその輪の中に加わってみると、チームメートはみんな明るくて、向上心もあるし、何より、めちゃめちゃうまかった。だから、『やばい、これは必死にやらな』と思っていました。
登里 危機感を抱いているようには、全然見えなかったけどね(笑) 阿部ちゃんはもともと点も取れるし、いろいろなポジションでプレーできる器用な選手というイメージを持っていた。実際、一緒にプレーしてみると、サッカーIQも、技術も高くて、シュートも抜群にうまかった。選手として必要な能力のすべてがデカくて、まさに何でもできる選手だと思いました。
阿部 これはご飯をご馳走しろというサインです(笑) ノボリは当時、今とはまた違う役回りだったと思いますけど、すでにチームに欠かせない存在になっていた。それは、ピッチ内はもちろん、ピッチ外でも。周りが見え、周りに気を遣える選手なので、フロンターレに感じたチームの明るさや仲の良さは、ノボリが作り出している雰囲気だと、すぐに分かった。かつてはドリブラーというイメージでしたけど、僕がフロンターレに加入した時期くらいから、サイドバックになり、プレーでも気の利く選手になっていきましたからね。
――フロンターレに加入した多くの選手が今なお、そのプレースタイルに慣れるのに時間が掛かると語っているなか、当時の阿部選手はすぐにフィットした印象がありました。
阿部 いや、自分もかなり時間は掛かりましたよ。
登里 同時期に加入したアキくん(家長昭博)も夏すぎまではいろいろと悩みながら、試行錯誤していたと言っていましたからね。でも、阿部ちゃんはそんなふうには見えなかったと、最近も話していたんです。
阿部 実際は難しさを感じていたんですけどね。でも、オニさん(鬼木達監督)が試合に使い続けてくれたことが大きかったと思っています。これはベルマーレでプレーする今も同じですが、僕は個人の力で何かができるタイプじゃない。チームのスタイルに合わせていくしか生き残っていく術(すべ)はないので、監督が求めていることと、自分ができることのバランスを見つけて、周りを巻き込んでいく力が、人よりは長けているのかもしれません。
――阿部選手はプロになってからベルマーレが4チーム目になります。加入したチームに素早く適応する秘訣はありますか?
阿部 選手として最低限、抑えなければいけないチームのポイントを見極めながら、そこに自分の色を少しずつ出していくことを心掛けています。割合で言えば、10のうち7から8がチーム、3から2が自分という感覚でスタートしています。そこから慣れてきたら、少しずつ自分の色を出す割合を増やせるように変えていっています。
登里が阿部から学んだ時間の使い方
守備面について「ずる賢い性格」と冗談を交えながら自己分析する阿部 【佐野美樹】
登里 シーズンがスタートするキャンプのときから、自分たちがこういうサッカーをするというのを見せること、示すことを今は意識しています。それを踏まえて、選手一人ひとりにそれぞれの良さがあるので、特長を理解して合わせる、もしくは引き出せるように工夫しています。
――フロンターレ時代は、阿部選手がサイドハーフ、登里選手はサイドバックとして、かつては左サイドで縦関係を築いた時期もありました。
阿部 J1リーグを連覇した2018年のシーズン終盤からそうした機会が徐々に増えていったように思います。
登里 阿部ちゃんとは、ボールがないところでいつも目が合っていました。中に入るときも、相手のマークを食いつかせてくれるので、僕はうまくスペースを使えていた。阿部ちゃんは、自らの動きで、僕がプレーしやすいように導いてくれるので、いつもその意図を汲み取るようにしていました。
阿部 攻撃時は、いい立ち位置さえ取っていれば、当時はノボリや(中村)憲剛さん、(大島)僚太、(谷口)彰悟と、至るところからパスがもらえましたからね。守備時は、僕が何度も確認しなくていいように、ノボリが後ろから声を掛けて動きを指示してくれていた。後ろにいる選手が、気が利くと、前の選手の仕事は大幅に減るので、これは超大事です!
登里 そもそも阿部ちゃんは守備がうまい。これは憲剛さんも阿部ちゃんから教わった部分が大きかったと言っていたくらいですからね。
阿部 それは俺がずる賢い性格だからじゃない?(笑) フロンターレは真面目な選手が多かったので、どこかキレイにやろうとしすぎていたというか。攻撃はキレイでもいいけど、守備は相手を止めなければいけないところでは、確実につぶさなければいけない。それはガンバ大阪で学んだところだったように思います。
登里 阿部ちゃんが、僕らに時間の使い方を示してくれたんです。先制点を取ったあと、勢いがあるからといって、攻撃スピードを上げようとしたとき、阿部ちゃんにパスを出すと、ボールをキープして急にペースダウンすることがありました。相手の勢いが増してきて、攻守が目まぐるしく入れ替わっていたときも、同様に阿部ちゃんが時間を使って、悪い流れを断ち切ってくれていた。それによって勝ち切れる試合や気持ち的に楽に戦える展開も増えていった。阿部ちゃんのプレーからは本当に学ぶところが多かったですね。