町田が直面した新国立の難しさ J2首位攻防戦で勝ち切れなかった理由とは?
7月9日の東京クラシックは4万人近い来場者があった 【(C)J.LEAGUE】
7月9日の東京クラシックは、町田にとってクラブ創設以来の『晴れ舞台』だった。会場は新国立競技場で、迎える相手は2位の名門・東京ヴェルディ。クラブはもちろんリーグが目玉カードとして売り出す試合となり、様々なプロモーションや招待施策も行われていた。
来場者数は38402名で、集客は大成功だった。町田GIONスタジアムで過去に記録された最多入場者数は10444名(今年5月21日の清水エスパルス戦)で、国立開催以前のホーム12試合は平均観客数が4千人台。38402名はケタ違いのスケールだった。
町田はJ2の首位を独走していて、「一度見てみよう」という他サポもいたはずだ。さらに試合の3日前にバイロン・バスケス選手の町田移籍が発表され、引き抜かれた東京Vから見れば昇格争いとは別の「負けられない理由」が生まれた。ヴェルディサポーターの人数、熱気も普段以上だった。
2点リードから追いつかれる
町田は「入り」を重視して試合に臨み、前半45分は成功した。試合後に黒田監督はこう振り返っている。
「選手たちをあくまでも冷静に、平常心でスタートしていこうと送り出しました。私は高校サッカー時代に開始10分、11分のところでミドルシュートを決められて、スタートのところから一気に走られる負け方をした経験があります。そういう入り方は絶対させないように、冷静に対応するように促しました。前半の入り方は良かったのかなと思っています」
「開始10分、11分のミドルシュート」は、第88回全国高等学校サッカー選手権大会の決勝戦で起こった出来事だ。青森山田は2011年1月11日の国立競技場で、碓井鉄平(現カターレ富山)に左45度からのミドルを決められた。青森山田は流れに乗れず、0-1で山梨学院の優勝を許している。
12年半後の東京クラシックは、黒田監督にとってもおそらく最高の前半だった。町田はボールの保持を許しつつ緻密に危険なスペースを消し、カウンターにつながるボール奪取も出せていた。前線の柱デュークを警告の累積による出場停止で欠いていたが、代役の藤尾翔太は先制ゴールを決めるなどノッていた。
耐えて刺す流れは町田の十八番で、本来なら相手がボールを持つほど、前がかりになるほど町田は戦いやすくなる。
3バックの守備固めが不発に
U-22代表の藤尾翔太はチームへ徐々に適応している 【(C)J.LEAGUE】
東京Vは選手交代が奏功した。66分から左サイドで起用された新井悠太は東洋大3年生の特別指定選手で、Jリーグの出場はまだ2試合目。ただし5日のV・ファーレン長崎戦ではゴールも挙げている。彼が持ち味のドリブルでサイドを崩し、反攻の立役者になった。
町田は73分に染野唯月のヘッドで1点差に迫られると、83分には新井の突破から染野の同点弾を許す。
その後も東京Vの攻勢が続いた一方で、94分にはエリキがカウンターから抜け出して1対1となる千載一遇のチャンスがあった。しかしJ2得点ランキング1位の名手が、シュートを大きく吹かしてしまう。
試合後の選手たちはかなり重い空気をまとっていた。エリキはこう述べている。
「チームが勝てなかったことに大きな責任を感じています。(最後のシュートミスは)間違いなく自らのミスであり、技術的なミスでした。(ミスは)サッカーの一部ですけれど、自分は今までのキャリアでもそういう責任を負ってプレーしたので、チームメートに申し訳ない気持ちです」
GKのポープ・ウィリアムは1失点目を悔いていた。
「どうゼロで進めていくかがウチのベースになります。僕が手前でパンチングをするか、行かない判断をしてシュートにしっかり反応できていたら、またゲームは変わったと思います。僕が少しゲームを難しくさせてしまった」