神戸・山口蛍が幼少期の経験から得たもの「39歳の長谷部さんができるなら、32歳の自分も絶対にまだまだできる」

元川悦子

今季リーグ戦フル出場を続ける32歳・山口蛍 【Photo by Masashi Hara/Getty Images】

日系ブラジル人の親友と競った小学生時代

 今季J1開幕から首位争いをリードしてきたヴィッセル神戸。そのチームで中盤を力強く支えるのが、32歳のダイナモ・山口蛍だ。

 ここまで15試合フル出場を果たしている彼は三重県名張市出身。幼い頃からサッカーにまい進し、中学時代は片道2時間かけて大阪・西成区にあったセレッソ大阪の練習場に通ったという努力家である。

 思春期の頃は学業との両立がうまくいかなかったり、一時的にサッカーの練習に行かなくなるといった時期もあったというが、困難を乗り越え、2009年にトップ昇格。今季でプロ15年目を迎えるに至った。

「僕は小学生の頃からサッカーをやっていますが、お父さんがチーム(箕曲ウエストSC)のコーチだったこともあって、朝から晩までサッカーのことを考えている子供でした。
 自分にとって大きかったのは、同じチームに同い年の日系ブラジル人の子がいたこと。プライベートでもメチャクチャ仲がよくて、練習でも1対1でぶつかりあったりしていた。ライバルでもあり、いい友達でもありました。
 そういう存在がいると『負けたくない』という気持ちが強くなる。彼は結構なテクニシャンで本番にも強いタイプでしたから、技術は実戦の場で出せないとダメなんだと感じる日々でしたね」と山口は子供時代を懐かしそうに振り返る。

片道2時間のセレッソ通い。サッカーをやめる寸前まで行った時期も

長距離移動・練習欠席などの苦難を乗り越え、ユース時代には10番を背負った山口蛍(前列右端) 【写真:ロイター/アフロ】

 中学時代はセレクションで一発合格したセレッソ大阪U-15でプレー。地元の名張市立赤目中学校に通いながら、大阪まで電車で往復した。片道2時間というのはサラリーマンの大人でも相当きついが、山口は3年間、休まずに通い続け、JFAエリートプログラムに選ばれるほどの選手に成長した。

「プロになってあまり電車も乗らなくなった今、考えると、中学生の時はすごく頑張ってセレッソに通ったんだなと思います。
 夜の練習後には仲間とコンビニに寄って喋ったりもするから、家に帰るのが深夜12時を回ることもザラにあった。学校で授業中にウトウトしちゃうこともありましたね(苦笑)。
 僕らの頃はスマホもユーチューブもなかったから、サッカーと勉強の2択。僕はずっとサッカーを選んでたんで、『もう勉強はできなくてもいいや』という感じで、最低限クリアできれば何とかなるという気持ちでした」

 まさにサッカー小僧だった山口だが、中学卒業の一時期、練習に行かなくなったことがある。久しぶりに地元の友達と接したことで、それまで抑えてきた「遊びたい」という感情が爆発。やめる寸前まで行ったという。

「本気でやめるとは考えてなかったけど、とにかく練習に行きたくなかったんですよね。でも親も止めてくれたし、おばあちゃんも『蛍がプロになって試合に出ているのを応援しに行きたい』と言ってくれた。マル(丸橋祐介)筆頭にセレッソの仲間たちも『蛍をやめさせないようにしてくれ』とU-15の監督に言ってくれたという話も後から聞きました。みんなに引き止められて、僕はサッカーに戻ることができたんです。
 やっぱり思春期は誘惑が多いから、サッカーだけに絞るのは難しい。だけど、本気でプロサッカー選手になりたいと思うなら、ムダにしていい時間は全くない。僕は幸いにしてプロになれましたけど、試合に出れなかった時期も長くて、『子供の頃からもっとやっておけばよかったな』と感じることが本当に多かった。
 そういう経験があるからこそ、今の子たちにはもっと真剣にサッカーと向き合って、サッカーのための生活を送ってもらいたいなと心底、思いますね」と山口は次世代を担う少年たちに改めてエールを送った。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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