全国優勝9度を誇る帝京高サッカー部の今 「異色の指揮官」が描く復権のロードマップ
昨年度はインターハイで準優勝を果たすなど、近年は目覚ましい結果を残している 【松尾祐希】
「少しずつまた動き始めた。僕が(監督を)ずっとやるとかではなく、山下(高明)コーチや松澤(朋幸)コーチなど、いろんな人たちが卒業生としてチームに関わっている。フルパワーで『オール帝京』の力を見せて、返り咲ける場所に返り咲きたい」
インターハイ準優勝を果たした後、日比威監督は悔しさを噛み締めながらも確かな手応えを感じていた。
惜しくも同年の高校サッカー選手権は東京予選のAブロック準決勝で國學院久我山に逆転負けを喫し、13年ぶりの選手権出場は逃した。だが、高円宮杯JFA U-18プリンスリーグ関東1部ではJクラブの育成組織や高体連の強豪校と互角以上の戦いを見せ、2位でフィニッシュ。2種年代最高峰の戦いである高円宮杯JFA U-18プレミアリーグの参入プレーオフでも、昇格にあと1勝と迫った。今季も3勝3分で首位と勝点1差の4位に付けており、FW横山夢樹とDF梅木怜(ともに3年)が来季からJ3・FC今治でプレーすることも決まっている。名将・古沼貞雄(現・矢板中央高サッカー部アドバイザー)の下で一時代を築いた名門校が低迷から抜け出し、新たなフェーズに入っているのは間違いない。
名門復活を託された選手権優勝を知る元主将
そこで再建を託されたのが、現在も指揮を執る日比氏だ。1991年度の選手権ではキャプテンとして四日市中央工業との両校優勝を経験。帝京最後の選手権制覇を知る男の手にチームの命運は委ねられた。
日比監督は帝京高卒業後、順天堂大を経て、アビスパ福岡と水戸ホーリーホックでプレーした。引退後はマネジメント会社で大学時代の先輩である名波浩氏などのサポート業務に従事。高原直泰氏(現・沖縄SV)がボカ・ジュニアーズに移籍した際はマネージャーとして3ヶ月ほど現地に同行するなど、異色のキャリアを経て母校を率いる立場になった。
日比氏が帝京に戻ってきたのは、今から9年前の2014年。荒谷守・前監督(現・帝京高校サッカー部アドバイザー)に招かれ、指導をスタートさせた。当初の立場は3年契約の外部コーチ。当時を振り返り、日比氏は言う。
「どうしても助けてほしいという声があったので迷いはなかった。でも、1年目が終わった時に来年から学校の先生として働いてほしいと言われたんです。前倒しになったけど、それもすんなり受け入れられた」