「夏は自分が最後を締めて…」センバツでサヨナラ打を浴びた仙台育英左腕がたどる成長の軌跡

高橋昌江

午前3時まで見返したサヨナラシーン

センバツの報徳学園戦でサヨナラ打を浴びた仙台育英・田中。須江監督に励まされながらグラウンドを後にする 【写真は共同】

 何を投げたら、よかったんだろう――。仙台育英(宮城)の左腕・田中優飛(3年)はあの夜、ずっと考えていた。

 3月29日の阪神甲子園球場。センバツは大会10日目を迎えていた。16時過ぎに始まった準々決勝第4試合で仙台育英は報徳学園(兵庫)と対戦。2時間58分に及んだゲームはタイブレークの延長10回、4-5のサヨナラ負けとなった。

 最後、マウンドにいた田中は宿舎に戻り、自室で一人になるとスマートフォンを起動した。

「3時過ぎくらいまでずっと、あの打たれたシーンを見ていました。最後の場面だけをずっと繰り返し見て、何がよかったんだろう、って」

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 5回まで0-3とリードを許したが、2点差の9回に相手の失策と適時打で同点に追いついた仙台育英。タイブレークの延長10回表、7番・濱田大輔(2年)のタイムリーで勝ち越した。その裏、4番手として8回から登板していた田中がマウンドに向かう。

 高校野球のタイブレーク制は無死一、二塁からはじまる。2018年から導入され、開始イニングは13回からだったが、今大会から10回に変更された。無死一、二塁から1点のリードを守れるか。迎える打者は7番・竹内颯平(3年)。二塁にけん制して投じた初球をバントし、三塁に転がされた。味方の送球エラーで二塁走者は三塁をまわり、ホームを駆け抜けた。同点。8番・林純司(3年)を三ゴロに打ち取ったが、1死二、三塁と予断を許さない。1点をめぐる攻防が続く。

最後にストレートを選んだ理由

 右打ちの代打・田村琉樹(3年)に対し、スクイズを警戒しながらの気を張った投球はカウント3-2から死球。満塁で左打者が続いた。1番・岩本聖冬生(3年)からスライダーで空振り三振を奪ったが、2番・山増達也(3年)にはストレートをレフトに運ばれた。サヨナラ負け、である。

 山増への配球はどうすればよかったのか。2ボールからの3球目はストレートで見逃しのストライク。4球目のストレートにバットは空を切り、追い込んだ。しかし、5球目に投じたストレートは無情にも弾き返された。

「最も考えたのはスライダーを一度、投げてみてもよかったんじゃないか、ということです。ただ、一人前のバッター(岩本)がスライダーで三振だったので、(山増の)頭に残っているんじゃないかと思い、スライダーをやめました」

 スライダーの高さも気になった。岩本がバットを出したスライダーは低め。山増への2球目も低く、捕手の尾形樹人(3年)が体で止めた球は三塁側へ転がった。パスボールもワイルドピッチも許されない状況だけに、一瞬、ヒヤッとする。

「なので、ストレートで三振を取るか、詰まらせて内野ゴロにしたいと考え、最後はストレートになりました。打たれても、四球でも負け。最後はストレートで抑えたいと思ったんですけど。そこが分かれ目になってしまいました」

 宮城に戻ると、須江航監督が報徳学園戦を「解説」するミーティングが開かれ、そこではこの場面に関して、「正解も不正解もない」と言われたという。結果が出ていると「不正解」に映るかもしれないが、その時の判断に対して、結果が出ただけ。時計の針を巻き戻してあの試合をすることはもうない。ただし、この先、同じ場面と遭遇することはあるかもしれない。その時、どうするか。田中は考え続けた。

「結局は、三振を取れる球があったら、あそこは切り抜けられたというのが一番の答え」

日本一の裏で方向転換を決断

 こんなにも配球と向き合う日が来るなんて、2年前の今頃は考えらなかった。横浜緑ボーイズから最速138キロ左腕として仙台育英に入学。「150キロを投げて、仁田みたいなスライダーを投げて、って思っていました」。新入生で行われる初めての紅白戦。その初打席で対戦した投手が同じ左腕の仁田陽翔だった。

「もう、ストレートだと思って振ったらワンバンしていて。『こんなスライダー、見たことない』って、本当にびっくり。これが3年後にプロに行く人の球なんだ、って思いました」

 衝撃を思い出し、最初の「もう」でフッと笑いが漏れる。須江監督が「強心臓で度胸は満点」と評する田中は「3年間、同じタイプでやっていくのか」と燃え、夢と希望を抱いて、高校野球をスタートさせた。仁田とともに1年春から公式戦のマウンドを経験。秋も登板機会を得た。2年春の地区大会も登板したが、熾(し)烈な競争は容赦がない。県大会からベンチを外れた。

「仁田のスピードが上がれば、自分も上がって。そしたらまた、仁田のスピードが上がって、自分も上がって。仁田はずっと1つ上にいるんです」

 変化球、スライダーともに回転数の多いボールを放る仁田。自分も成長していると感じても、仁田もまたボールに磨きをかけていた。同級生の右腕である高橋煌稀、湯田統真も台頭。昨夏の宮城大会を勝ち抜く原動力となり、田中より先に、3人は聖地のマウンドを踏んだ。その甲子園ではスタンドでの応援やボールパーソンを務め、日本一の喜びの一方で、心が折れかけていた。「今思えば、ちょっと鼻が高かった。幼かったです」と田中は苦笑し、須江監督の言葉を噛み締める。

「須江先生が言うんです。『実年齢と精神年齢が一緒じゃ、いい選手にはなれない』って。秋までは幼いところが多くて。夏は正直、『やりたくねぇな』って思っていて。なんで自分は今、投げていなくて、3人が投げているんだって思っていて」

 どうしたら試合で投げられるようになるのか。2年夏が終わり、「スピードにしかこだわってこなかった」という田中は方向転換を決意する。猿橋善宏部長の「田中はボディバランスが優れている」という言葉がヒントになったという。

「バランスがいいのなら、コントロールでまとめられるかなって思ったんです。中学でも高校でも、スピードで押せるピッチャーになる、って思ってきましたが、スピードでも勝てなくて、変化球のキレでも勝てない。何で勝てるんだろうと考えたら、どうアウトカウントをとっていくかというところで勝負して、3人に並ぼうと思いました。なんで自分が変化球にこだわらないといけないんだと思いましたけど、そこで抜けるしか、自分が試合で投げる方法はない、って。諦めなきゃいけない部分もあると初めて思いました」

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著者プロフィール

1987年、宮城県若柳町(現栗原市)生まれ。中学から大学までソフトボール部に所属。東北地方のアマチュア野球を中心に取材し、ベースボール・マガジン社発刊誌や『野球太郎』、『ホームラン』などに寄稿している。

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