本多雄一を襲った首の痛み それでも引退試合でベストパフォーマンスを出せたワケ

本多雄一

身体の異変

引退試合では2安打に加え、"幻の盗塁"も見せた 【写真は共同】

 順調な選手生活だったのですが、気になる問題が出てきました。原因不明の首の痛みです。

 2012年の春。試合中に突然、電気が走ったような痛みに襲われました。それでもプレーしようとしましたが、できませんでした。

 病院で精密検査を受けると、頸椎の一部が狭くなっていて、それによる炎症だとされます。ただし、原因はわからない。
 そして、この痛みが出ると、首が動かせなくなりました。打席でピッチャーを見ることさえできず、肩も上がらない。走る衝撃にも耐えられません。

 一度起こると、2〜3週間プレーができないという厄介なものでした。

 ちょうど選手としては全盛期を迎えていた時期。ショックでした。

 実は野球のプレーというのはダメージが残るものです。そして、僕の特徴は打って、走って、守る全力プレー。相手ランナーと交錯することもあれば、ジャンピングスローのような全身の力を爆発的に使うプレーもします。

 その積み重ねが原因なのかもしれません。

 でも、だからといって、試合で力を緩めたくない。首の痛みを恐れて、プレーを変えることはできませんでした。

 一軍に復帰すると、変わらないプレーをします。

 遠い打球には迷わず飛び込みます。振り返ってすばやく投げる。

 でも、首に違和感が残るのです。

 身体の不安はありましたが、それでも2012年はゴールデングラブ賞をいただいた。翌年の春は侍ジャパンの日本代表メンバーにも選ばれました。

 ですが、この年以降、年に一度は身体に電気が走り動けなくなり、数週間を失うようになりました。

 そして、ケガをするたびに、また「野球がしたくて仕方ない病」になるのです。

 野球ができるって、いいなと思いました。

 一軍に戻ると、もう二軍でやり直すのはごめんだと考えてしまい、身体にいいことだとは思わないけど、痛み止めなどに頼ります。

 そして、試合ではいつも通り必死にできました。

 でも、朝起きると、首に違和感があります。

 選手として最後の数年は、年に4度ほど痛みに襲われました。もう、月に一度は発症する感じで、出なければラッキーという具合です。

 それでも、僕は野球がしたい。

 今、当たり前にある環境も、失って初めて気づく、ありがたいものかもしれません。なんのために目の前のものと向き合っているのかが大切で、その想いの強さが最後は心と身体を動かしてくれるはずです。

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著者プロフィール

福岡ソフトバンクホークス⼆軍内野守備⾛塁コーチ。福岡県大野城市出身。鹿児島実業-三菱重工名古屋。 2005年より福岡ソフトバンクの黄金時代を支えたリードオフマン。 多くのファンに惜しまれながら2018年に現役を引退し、2019年より一軍内野守備走塁コーチ、現在は⼆軍内野守備⾛塁コーチを務める。 2012年より嬉野観光大使としても活躍している。 現役時代の主なタイトル ・盗塁王2回 ・ベストナイン1回 ・ゴールデングラブ賞2回

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