【対談】4.8 大一番に臨む拳四朗と吉野修一郎 同級生“夢の共演”が実現した2022年を振り返る

船橋真二郎

ともにキャリアの分岐点となるビッグマッチでKO競演

2022年の年間表彰で拳四朗(左)は技能賞、吉野は年間最高試合賞(世界戦以外)に選出。2月22日の表彰式では、そろってタキシードで決めた 【写真:船橋真二郎】

 いつか大きな舞台で一緒にやろう――。互いに誓い合ったというほど、固い約束だったわけではない。あるいは同い年の気軽さもあり、自然と口をついて出た願望のようなものだったのかもしれない。WBAスーパー・WBC世界ライトフライ級統一王者の寺地拳四朗(BMB)とWBC世界ライト級5位の吉野修一郎(三迫)。昨年、そんな2人の願いは現実になった。

 長らく君臨してきたWBC王座を陥落し、無冠だった拳四朗は3月、京都で矢吹正道(緑)を一撃で3回に沈め、雪辱を遂げるとともに王座奪還を果たす。日本、東洋太平洋、WBOアジアパシフィックの3冠を独占するなど、国内ライト級の覇者だった吉野は4月、村田諒太(帝拳)がゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)と激突したさいたまスーパーアリーナのリングで、元世界王者の伊藤雅雪(横浜光)を11回負傷判定で打ち破る。

 そして、ともにつかみ取った大きな結果はさいたまスーパーアリーナでの共演につながった。拳四朗はWBAスーパー王者の京口紘人(ワタナベ)との王座統一戦。吉野はアメリカで大勝負に挑んできた中谷正義(帝拳)との世界ランカー同士の“ライト級頂上対決”。それぞれキャリアの分岐点となるビッグマッチが同じリングで実現した。

 11月1日、下馬評不利に燃える吉野は、中谷から2度のダウンを奪う6回KO勝ち。実力を証明し、世界への足がかりを築いた。巧さに強さを兼備した拳四朗もまた京口を2度倒し、7回TKO勝ち。名実ともにライトフライ級ナンバーワンの座に復権を果たした。

 見事なKO競演は、さらなる大舞台へと2人を導く。遠く海を隔てて時間のズレはあるものの、次も同じ4月8日、そろって偉大な目標に王手をかける戦いに臨む。

 視線の先に井上尚弥(大橋)に次ぐ日本人2人目の世界4団体王座統一を見据える拳四朗は、岩田翔吉(帝拳)の挑戦を退け、WBO王座2度目の防衛に成功したスピード豊かなサウスポーのジョナサン・ゴンサレス(プエルトリコ)と東京・有明アリーナで3本のベルトを争うことになった。

 一方、世界的に層の厚いライト級で2008年以来、日本人4人目の世界奪取を目指す吉野は、焦がれ続けたアメリカのリングについに立つ。世界挑戦権をかけたWBCライト級挑戦者決定戦。超えなければならない壁は高く険しい。

19歳にしてリオ五輪銀メダリストとなり、すでにフェザー級、スーパーフェザー級の2階級で世界王者となったシャクール・スティーブンソン(アメリカ)が立ちはだかる。決戦の地となるニュージャージー州ニューアークは、圧倒的スピードと鉄壁のディフェンスを誇るサウスポーの次世代スーパースター候補が生まれ育ったホームタウン。困難なミッションをやり遂げた先には至高の舞台が待つ大一番である。

崖っぷちから統一王者に。「絶対に忘れへん1年」(拳四朗)

2022年3月、拳四朗は矢吹正道に雪辱し、崖っぷちから王座奪還を果たした 【写真は共同】

 拳四朗は世界初挑戦の前から吉野が所属する三迫ジムを練習拠点とし、チームメイトのような間柄の2人。まずは拳四朗が年間技能賞、吉野が年間最高試合賞(世界戦以外=中谷正義戦)に選出されるなど、目覚ましい結果を残し、2人にとって“夢の共演”が実現した2022年を振り返ってもらった。(2月23日取材/三迫ジム)

――まず、次の大きな試合につながった昨年ですが、振り返ると拳四朗選手はどんな1年でしたか。ベルトがない状況から始まった1年だったわけですが。

拳四朗 思い出深い1年になりましたよね。初めて負けて、落ちたところから這い上がっていく1年だったので。思い出に残る、絶対に忘れへん1年になったと思います。

――とにかく3月の矢吹戦に勝たないことには何も始まらなかった。

拳四朗 いや、そうですよ。あそこで負けてたら、もう終わってたでしょうからね。それこそ、同じ相手に2度負けたら。そう考えるとギリギリの1年ではありましたね。

――崖っぷちの試合に勝ったことが京口選手との統一戦にもつながったし、またガラリと状況が変わりました。

拳四朗 今までにないプレッシャーは3月のほうがありましたし、あそこで勝てて、いちばんは気持ちが楽になりましたね。ボクシングの幅も広がったし、より自由になれたと思います。

――これまでの巧いという印象に加えて、強さを印象づけた。

拳四朗 成長できましたね。ボクシングもそうですし、人間的にも。今まででいちばん成長したと思うぐらい。その面でも大事な1年になりました。

吉野 負けて、苦しかった時期もあったと思うし、ボクシングを続けるか悩んだこともあったと思うんですよね。でも、拳四朗本人がやると決めて、またジムに戻ってきたときは、中途半端な覚悟じゃなかったですね。見ていて、ボクシングに取り組む姿勢はほんとにすごかったですし、絶対に返り咲いてやるっていう気持ちを感じました。

拳四朗 もう後がなかったからね。ほんまに後がなかった。

吉野 そうだよね。ずっと防衛記録を超えるかって言われて、期待もされてきて。それで負けてしまって。正直、プレッシャーはすごかったと思うんですよ。

拳四朗 まだ負けてないもんね。マジでダメージ、デカいよ。

吉野 まあね。しゃーないよ。ボクシングって、残酷だからね。人の夢を奪い合うものだから。負けたら奪われるし、勝てば奪うしね。

拳四朗 そう。それがボクシングは厳しすぎるんですよ。

吉野 特に国内の選手に負けるとキツイよね。

拳四朗 キツイな。

――そういう意味では、2人とも昨年の2戦は日本人対決でもありました。

吉野 そうですね。負けられないっていう本能、ボクサーの本能(が刺激される)じゃないけど、同じ階級の中で誰もが上を目指して、ナンバーワンを獲りたいっていう戦いで、1対1で向かい合って。勝てばいいけど、負けたら。でも、そこがボクシングの魅力でもあるんですけど。

拳四朗 でもね、負けも大事なんですよ。負けたくはないけどね。

吉野 大事なのは、負けを乗り越えられるかだよね。

拳四朗 そう。落ちる人は落ちるやん。

吉野 僕も正直、負けたら分からないです。想像つかないですね。

拳四朗 でも、なんだかんだ、やっちゃうねんな。負けたままでは、簡単にはやめれへん。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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