連載:我がマリノスに優るあらめや 横浜F・マリノス30年の物語

M・ジュニオール「あの年の自分は最悪でした」 順風満帆のキャリアから一転、その先にあった“落とし穴”

二宮寿朗
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20年シーズンにキャプテンを務めるなど、チームに欠かせない10番だ 【Getty Images】

 強いトリコロールには必ず頼もしい“助っ人”がいる。

 日産自動車サッカー部時代のオスカー、1995年のリーグ初制覇に貢献して“裏MVP”の呼び声も高かったビスコンティ、J1、Jリーグカップ、天皇杯すべてのタイトルを経験したドゥトラ、そして2019年に仲川輝人とともに得点王に輝き、圧倒的な攻撃力の中心を担ったマルコス・ジュニオールもその一人である。
 テクニックが優れているのはもちろんのこと、マルコスは何よりもフォア・ザ・チームを軸に置く。常に叱咤し、鼓舞し、奮い立たせる。そのリーダーシップを買われて2020シーズンには喜田拓也、扇原貴宏とともにキャプテンを務めた。外国籍選手としては初だ。2021年から着けたエースナンバー「10」も外国籍選手としてはボリビア代表のテクニシャン、フリオ・バルディビエソ以来であった。

 クラブにとってどれほど重要なプレーヤーであるかが理解できる。アニメ『ドラゴンボール』をこよなく愛す。髪をきれいに剃り上げた風貌から登場キャラクターの「クリリン」と呼ばれ、左腕にタトゥーまで刻む。ひとたびゴールが決まれば、セレブレーションで「かめはめ波」や「気円斬」を仲間と一緒にぶっ放すのは、すっかり名物となった。ファン・サポーターのハートをガッチリつかんで離さない。「子どものときからブラジルのテレビで流れていたので、よく観ていました。大人になって髪を自分で剃るようになってから、まわりに“クリリンに似ている”って言われるようになった。何かゴールパフォーマンスをやろうと思って、(フルミネンセにいた)2015年から“かめはめ波”もやってはいたんです」

12歳で名門・フルミネンセの育成組織に加入

12歳で名門・フルミネンセの育成組織に加入。叔父の助言がきっかけだった 【Getty Images】

 マルコスは1993年1月、ブラジルの首都ブラジリアで生を受けた。両親の深い愛情を受けてすくすくと育ち、幼少の頃からストリートサッカーに熱中していたという。地域の子どもたちのためにと立ち上げた伯父アレッシャンドレのサッカースクールに8歳から通うようになる。

「小さい子どもたちも非行に走ってしまう環境がブラジルにはあります。僕を間違った道に行かせないようにと父が伯父に預けたんです。いい指導をしてもらえたと感謝しています。全体練習が終わると必ず個人レッスンが待っていました。右のトラップはこうしなさい、左のトラップはこうしなさい、パスはこうだ、とか基礎のスキルをていねいに授けてくれました。成長していく過程で、社会的な常識や、正しい考え方も教えられました。プロになるためには、サッカーがうまくなるだけじゃなくて、しっかりとした人間にならなきゃいけなんだ、と伯父はよく言っていましたね」
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著者プロフィール

1972年、愛媛県生まれ。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社し、格闘技 、ラグビー、ボクシング、サッカーなどを担当。退社後、文藝春秋「Number」の編集者を経て独立。 様々な現場取材で培った観察眼と対象に迫る確かな筆致には定評がある。著書に「 松田直樹を忘れない」(三栄書房)、「中村俊輔 サッカー覚書」(文藝春秋、共著)「 鉄人の思考法〜1980年生まれ、戦い続けるアスリート」(集英社)など。スポーツサイト「SPOAL(スポール)」編集長。

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