連載:我がマリノスに優るあらめや 横浜F・マリノス30年の物語

38歳で横浜FMに復帰したドゥトラ「あの写真は僕の宝物。今も自宅に飾っている」

二宮寿朗
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2012年、38歳で再びJリーグのピッチに戻ってきたドゥトラ。左サイドを激しくアップダウンする姿は健在だった 【(c)J.LEAGUE】

 2012年3月、“再加入”が決まる。6年前とはメンバーもかなり入れ替わっていたため、昔のチームと印象は随分と違っていたという。

「若い選手が多くて、チームは今、変革期にあるんだなと感じました。ただベテランにはボンバー(中澤佑二)、シュン(中村俊輔)、マルキーニョスたちがいて、若手と融合していければ何か成し遂げられるんじゃないかという期待感が僕のなかにもありました」
 アラフォーになっても激しいアップダウンを繰り返せるのは、徹底した自己管理と練習前後のケア、トレーニングがあるから。若手の模範となるために、ベテランが率先して働かなきゃいけない、というのが彼の持論でもあった。2003年時にもチームメイトだったマルキーニョスに「ドゥトラはプレーヤーの鑑。10年経った今も変わらない。年上の彼以上にやらなきゃいけないという思いを抱かせる」と言わせるほど、ベテランのチームメイトに対しても刺激を与えていた。

 ドゥトラはこのように振り返る。

「いつ休むか、どれだけ休むか、どのように疲労を回復させるか、またはトレーニング強度をどこまでにすればいいか。僕は自分の体をすべて分かっているから、試合から逆算しながら落とし込んでいくことが可能でした。よく覚えているエピソードがあります。グラウンドを走るトレーニングで、僕が時計もないのにほぼ同じタイムで1周を回っていることに監督の樋口(靖洋)さんが気づいて“凄いな。どうしてできるんだ?”と尋ねられたことがあります。自分のリズム、自分の体を分かっているからできること。これこそが長くやってこられた一番の秘訣と言えるかもしれません」

いつも感じていた「ファン・サポーターからの愛情」

「生誕祭」でサポーターの声援に応えるドゥトラ 【(c)J.LEAGUE】

 復帰2年目となった2013シーズン、チームは開幕から6連勝を挙げて最高のスタートを切る。ドゥトラも不動の左サイドバックとして存在感を示し、連戦であっても変わらぬパフォーマンスを続けていた。

 40歳の誕生日前日だった8月10日、ニッパツ三ツ沢球技場でのサガン鳥栖戦は「ドゥトラ生誕祭!!」と名づけられ、約1万人にドゥトラのお面が配られた。スタンドはドゥトラであふれかえった。そのなかには彼の家族もいた。140席あったR‐40ドゥトラシートも即日完売。ファン・サポーターからも愛されていた。
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著者プロフィール

1972年、愛媛県生まれ。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社し、格闘技 、ラグビー、ボクシング、サッカーなどを担当。退社後、文藝春秋「Number」の編集者を経て独立。 様々な現場取材で培った観察眼と対象に迫る確かな筆致には定評がある。著書に「 松田直樹を忘れない」(三栄書房)、「中村俊輔 サッカー覚書」(文藝春秋、共著)「 鉄人の思考法〜1980年生まれ、戦い続けるアスリート」(集英社)など。スポーツサイト「SPOAL(スポール)」編集長。

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