[連載小説]アイム・ブルー(I’m BLUE) 第26話 深夜の監督室
これを記念して、4年前にスポーツナビアプリ限定で配信された前作をWEB版でも全話公開いたします(毎日1話ずつ公開予定)。
木崎f伸也、初のフィクション小説。
イラストは人気サッカー漫画『GIANT KILLING』のツジトモが描き下ろし。
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「監督、今すぐ会えるそうですよ。監督室に来てください。私が通訳しますね」
今回、監督室はスイートルームに設けられていた。丈一がジャージに着替えて最上階へ上がると、部屋のドアが開けたままになっていた。
軽くノックして入ると、応接室の長いソファにフランク・ノイマン監督が背筋を伸ばして座っていた。暖炉、ピアノ、ダイニングテーブルが置かれており、豪邸のリビングのようだ。
「ドウゾ」
ノイマンは対面するソファに手を向けた。丈一は「ダンケ・シェーン」と返して、ソファに腰をうずめた。こうやって新監督と1対1で話すのは初めてだ。フックスがチェアを持ってきて、2人の中間に位置を取った。
【(C)ツジトモ】
「夜遅くに、時間をつくってくれてありがとうございます。今すぐ伝えたいことがあって、ここに来させてもらいました」
フックスはまだ学生で、プロの通訳ではない。訳しやすいように、丈一はゆっくりと話した。
「時間がないので率直に言います。僕とゼキのサイドバック起用、激しいプレッシング、プログレッション。ノイマンさんの戦術は、僕たちにとってなじみのないものばかりでした。W杯まで時間がありません。あくまで僕の意見ですが、現在の日本代表の能力では難しいと思います」
丈一は言葉にしながら情けなくなった。だが、それでもチームのために、W杯で勝つために、言わなければならない。
フックスが訳を終えると、ノイマンはシャツの襟を正し、ハンカチを取り出して手を拭いた。身だしなみを整え終わると、ゆっくりと立ち上がり、右手を丈一の方へ伸ばしてきた。
握手を求めている――? 丈一が固まっていると、ノイマンはやわらかい声で言った。
「おめでとう。君は私が設定したキャプテンとしてのテストをクリアした。正式にジョーを日本代表のキャプテンに指名する。このチームを1つにするのを手伝ってくれ」
「え?」
もはや困惑を通り越し、混乱と言っていい。ハードルをクリア? キャプテンとして認められた? いったい何を言っているんだろう。
「いったい、どういうことですか?」
丈一は握手しないまま質問をぶつけると、ノイマンは右手を引き、再びソファに座った。
「種明かしをしよう。私は君たちに対して、トリックを掛けていた。君たちの思考を停止するために、あえて間違った戦術を伝えていたんだよ」
わざと間違った戦術を伝えた? 監督がなしえるマネジメントの中で、これほど意地悪なことはないだろう。丈一の瞬間的な憤りを感じたのか、ノイマンは少し表現を変えた。
「正確に言えば、戦術の設計図を分解し、全体像が分からないように部分ごとに伝えていたんだ。なぜ、そんなことをしたのか? それは君たちの国民性に関係している」
ノイマンは立ち上がって、部屋を歩き始めた。
「私は就任する前、日本人選手たちの気質をオラルから聞き、自分で過去の映像を見直した。そして確信した。日本人選手は良い意味でも悪い意味で真面目すぎるのだと。君たちは大事な試合が迫ると、何かやり残したことがないか、もっとチーム力を高められるのではないかと、“やるべきこと”を探し始める傾向がある。その1つが、監督のやり方だけでは不安になり、自分たちで新たな戦術にトライし始めることだ」
丈一にも思い当たる節があった。オラル時代、指示の乏しさに困惑し、まさに自分たちで戦術を話し合っていた。だが、そのときは明らかに監督の指示のいたらないところを、選手たちの話し合いで補完した手応えがあった。ノイマンの主張をすぐに受け入れることはできない。
「反論させてください。監督から指示がなかったら、選手たちで考えるしかないと思います。もしオラルさんのときにベテランを中心に話し合って細かい守備のやり方を修正していなければ、W杯予選でもっと苦戦していたと思います」
ノイマンは立ち止まり、ダイニングテーブル越しに丈一を見つめた。
「もちろん、選手たちの頑張りを否定するつもりはない。選手が必死に修正したから、W杯に出られたのだ。戦闘のやり方は臨機応変に変えるべきだろう。しかし、戦闘法と戦術は違う。組織のルールとなる戦術は、監督が決める。選手が自分たちを万能と思い込んで、戦術を考えるのは危険だ。絶対に忘れてはいけないことが1つある。それは選手1人1人は、ピッチの一部分しか見えていないということだ」
「監督しか全体が見えないと言いたいんですか?」
「その通りだ。正確に言えば、監督ですら見えないのがサッカーだ。プレーしている選手には絶対に見えない。たとえば一方のサイドに寄ったとき、逆サイドの状況を正確に理解できるか? 無理だ。多くの選手が、引退後にようやく一部分しか見えていなかったことに気づく」