河村勇輝、日本代表の経験で得た自信と変化 「ゲームを支配するプレーヤーになりたい」

永塚和志

日本代表の活動を終えてすぐにチームに戻ってきた河村勇輝 【撮影:永塚和志】

「“家”に帰ってきたなぁという感覚もありますし、代表生活がすごく刺激的な毎日だったので『やっと終わったな』というか『終わっちゃったな』という感じです」

この夏、日本代表で本格デビューを果たし、どっぷりと同チームでの活動につかってきた河村勇輝が、自分の“家”である横浜ビー・コルセア―ズ(以下横浜BC)に戻ってきた。
 6月頭から3カ月間。若手中心のディベロップメントキャンプ、代表合宿、ワールドカップ・アジア地区予選、アジアカップと国内外を転々としながら、怒涛(どとう)かつ濃厚な期間を過ごした。横浜BCに合流してからまだ6日目の9月10日、平塚で同チームが実施した公開練習後に話を聞いた。自チームの活動に久しぶりに参加した感想を聞くと、21歳のポイントガードは冒頭のように答えた。

 8月30日に沖縄でワールドカップの試合をこなしたばかりだった。河村いわく、休んだのは「1日くらい」。すでに2022−23シーズンへ向けての合宿を始めていたチームへの合流は、もう少し体を休めてからでもよかったようだが、彼の希望で早期の復帰となった。

「開幕まで1カ月しかないですし、日本代表もすごく大切ですけど、この経験ができたのは自チームの横浜ビー・コルセア―ズあってのこと。今シーズンはチャンピオンシップ(進出)という大きな目標を掲げている中で、合流を少しでも早くしてチームのケミストリーを僕自身も築ければいいなという思いで、まっすぐ参加しました」(河村)

得点に対する意識の変化

持ち前のアシスト能力を軸に日本代表でもその存在感をアピールした 【Getty Images】

 福岡第一高校3年生時の2019-20シーズンから、特別指定選手として三遠ネオフェニックス、そして現在所属の横浜BCでプレーしてきた河村は、パリオリンピックや来年沖縄でも一部開催されるワールドカップへの出場を目指し、在学していた東海大学を昨年度いっぱいで中退した。今シーズンからは、純然たるプロ選手としてデビューすることとなる。

 出場したワールドカップアジア地区予選とアジアカップの計8試合で平均4.3得点、5.0アシスト、2.6スティールを挙げるなど、トム・ホーバスヘッドコーチの指揮する日本代表では自身の力量を大いに示し、まばゆい光を放った。それだけに、本格的プロデビューにあたって、彼への注目度はこれまで以上に上がるはずだ。

 オフェンスでは「ファイブアウト」というコートに立つ5人全員がアウトサイドに位置取る特異な戦術を用いるホーバスHCの日本代表と、外国籍選手も多いBリーグでのバスケットボールはかなり違う。横浜BCのスタイルもしかりだ。河村も、代表とは求められるものも違う自チームでのプレーについて線を引いているようである。

 しかし一方で、代表で得たものを新シーズンで生かすことができる部分は小さくないとも言う。最も端的なところでは、自身の得点に対する意識だ。人並み外れた視野の広さによるアシストパスの能力は、高校時代から知られているが、8月半ばに仙台で行われたイランとの強化試合で、河村は自身の得点機で積極的にシュートを狙わなかったことでホーバスHCから「リングを向いていない」と注意を受けている。

 その後の河村の姿勢は如実に変化し、得意のペネトレーションなどで自らも得点を狙いに行くようになった。この得点の意識については「継続していきたい」と語っている。

 ただし、闇雲にリングをアタックするということではない。味方が空いていてそこへのアシストのほうが得点の可能性が高いならば変わらずパスをするし、自分で行ったほうが得点しやすいのであればそうする――。そういった具合で、ポイントガードという司令塔である「本分」は忘れない。

「周り(の得点機)をクリエイトしながらプレーメークしていくというところは、日本代表でもビーコルでも変わらないと思います。特にビーコルはシューターが多く、またパトリック・アウダ選手や新しい外国籍選手(チャールズ・ジャクソン、デビン・オリバー)も得点能力がある中で、彼らを生かしながら僕もスコアができればいいなという感覚はあります」(河村)

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著者プロフィール

茨城県生まれ、北海道育ち。英字紙「ジャパンタイムズ」元記者で、プロ野球やバスケットボール等を担当。現在はフリーランスライターとして活動。日本シリーズやWBC、バスケットボール世界選手権、NFL・スーパーボウルなどの取材経験がある

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