連載:日本代表選手のルーツを探る

サッカー部除籍の過去と前線からの‟鬼プレス” 前田大然のプレースタイルはどう生まれたのか

栗原正夫
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小学4年のとき地元の少年団でサッカーを始めた前田 【写真提供:前田大然の両親】

 50メートル5秒台の快足を武器に、11月開幕のカタールW杯での活躍が期待される前田大然(24歳)。昨季は横浜F・マリノスで36試合23ゴールと史上2番目の若さでJ1得点王に輝くと、ことし1月に移籍したセルティックでもすぐに定位置を獲得し、チームの2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

 今季、セルティックはスコットランド王者としてUEFAチャンピオンズリーグ(9月6日開幕)に出場し、同じく日本代表でセルティック所属のFW古橋亨梧(27歳)やMF旗手怜央(24歳)らとともに、前田がどんなプレーをするかに注目が集まる。
 前田の売りは、日本人離れしたスピードと高い身体能力を生かしたダイナミックなプレーにある。そのプレースタイルは彼が育ってきたルーツと深く関係しているというが、果たして前田は現在に至るまでどのような道のりを歩んできたのか。

 5人兄弟の2番目で長男。前田は獣医師の父・伸幸さんと動物病院を経営する母・幸枝さんのもとに生まれ、緑豊かな大阪府太子町で育った。姉は「千咲(ちさき)」、弟は「草原(そうげん)」、2人の妹は「野乃花(ののか)」と「野原(のばら)」。大自然に由来する自身を含め、兄弟姉妹全員に自然にちなんだ名前が付いている。

スピードはあったが、ボール扱いは……

スピードでは幼少期から負けることはなかった 【写真提供:前田大然の両親】

「大自然のなか、のびのびと育ってほしい」

 両親の願い通り、前田は実家近くの野山を走り回りながらすくすくと育ってきた。保育園のときからスピードは飛び抜けており、小学4年から地元のクラブでサッカーを始めた。

 決して器用な方ではなかった。地元のクラブでは目立っても、まさかプロサッカー選手、まして日本代表選手になるとは両親も想像すらしていなかった。

「サッカーは好きでしたけど、最初は友達に進められて少年団に入ったくらいでした。ただ、子どもは5人とも足が速かったですし、とくに大然は……。校内のマラソン大会はお昼のお弁当を食べすぎてお腹が痛かったと言っていた中学1年のとき以外は、いつも1位。走るのは短距離も長距離も得意でしたね」(母・幸枝さん)

 中学までは地元の学校に通ったが、高校は山梨県の名門・山梨学院に越境入学。小学6年の冬に見た全国高校選手権で同校が初出場初優勝したのに憧れ、前田は中学卒業と同時に親元を離れた。

 19年夏に前田がポルトガル1部マリティモに移籍した際に、約2カ月間現地でサポートに当たった山梨学院の同級生・中田貫太さんは、前田についてこう話す。
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著者プロフィール

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

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