連載:夏の甲子園を沸かせたあの球児はいま

センバツ優勝直後の「出会い」が町田友潤の第2の人生を決定づけた

高木淳
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23歳で選手生活にピリオドを打った町田さんは、高校時代から心の内に秘めていた児童福祉の道へ。現在は浜松市内で4つの児童福祉関連施設を運営する 【高木淳】

 静岡県の常葉菊川高(現・常葉大菊川高)で春夏合わせて4度聖地に立ち、「甲子園史上最高の二塁手」と評された町田友潤さんは高校卒業後、表舞台から姿を消した。23歳で現役を引退。プロは一切考えていなかったという。32歳となった今、浜松市で4つの事業所を経営している。第2の人生に選んだのは児童福祉の道。きっかけは、選抜高校野球大会で優勝した直後の出来事だった。

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守備もプロのレベルでは難しいと感じていた

 過熱する周囲とは温度差があった。常葉菊川で2007年春の優勝、2008年夏の準優勝を含む春夏4度の甲子園出場。町田さんはチームの窮地を何度も救い、球場を沸かせた。プロの世界でも美しい守備を見たい。周りの期待が高まるのは自然だった。だが、町田さんにプロの選択肢はなかった。

「仮にプロに入っても活躍できるとは一切思っていませんでした。プロに行った先輩を見ていたので、守備もプロのレベルでは難しいと感じていました。社会人まで野球をやりたいというビジョンもなく、大学でプレーできたらいいなというくらいでした」

 町田さんはプロ志望届を出すことなく、早稲田大に進学した。入学後すぐにオープン戦に出場。チームからの期待値の高さが表れていた。ところが、1年も経たずに野球部を退部した。
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