連載:夏の甲子園を沸かせたあの球児はいま

プロが認めた「天才投手」吉永健太朗 全国制覇の後、なぜ大学進学を選んだのか

平尾類
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日大三のエースとして、11年夏の甲子園で優勝。将来を嘱望された天才投手は、早大を経てJR東日本に入社したが、19年をもって静かに引退した 【写真:岡沢克郎/アフロ】

 歴代の甲子園優勝投手には、球界を代表する投手が何人もその名を刻んでいる。横浜高で1998年の春夏に全国制覇を達成した松坂大輔(西武)、2005年夏に2年生エースとして駒大苫小牧高を夏連覇に導いた田中将大(楽天)、2012年に史上7校目の春夏連覇を成し遂げた大阪桐蔭高の藤浪晋太郎(阪神)……。日大三高が2011年夏に全国制覇した時のエース・吉永健太朗さんも、彼らと同様、甲子園の大舞台で強烈なインパクトを与えたひとりだ。

 しなやかなフォームから投げ込む140キロ台後半の直球に、切れ味鋭いスライダー、右投手では珍しい鋭く落ちるシンカーを駆使し、打者を翻弄する。その投球は高校生レベルを超越していた。将来は球界を代表する投手に――。そう大きな期待を抱かせたが、プロ入りせずに早稲田大に進み、JR東日本を経て、2019年限りでユニホームを脱いだ。現在はJR東日本の社員として、駅構内の『みどりの窓口』で業務に携わる吉永さんに、波瀾万丈の野球人生を振り返ってもらった。
 
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著者プロフィール

1980年4月10日、神奈川県横浜市生まれ。スポーツ新聞に勤務していた当時はDeNA、巨人、ヤクルト、西武の担当記者を歴任。現在はライター、アスリートのマネジメント業などの活動をしている。

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