連載:夏の甲子園を沸かせたあの球児はいま

「甲子園史上最高の二塁手」 町田友潤の華麗な守備を支えたのは責任感と恐怖心

高木淳
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常葉菊川の二塁手として4季連続で甲子園に出場。その卓越した守備力から「甲子園史上最高の二塁手」と評された 【写真は共同】

 セカンドに打ってしまえば望みはない――。静岡県にある常葉菊川高(現・常葉大菊川高)の町田友潤さんは甲子園実況の名言を引き出し、歴代最高の二塁手とも評された。2007年の選抜高校野球大会で同校初の優勝、2008年の全国高校野球大会で準優勝に貢献した。23歳でグラブを置いて9年が経ち、高校入学当時は守備が苦手だったと回想する。責任感から練習を重ね、聖地でも恐怖感と戦っていた。

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もともと守備は苦手だった

 古い記憶は消えていく。人間は忘れる生き物とも言われている。それでも、高校野球ファンの記憶に深く刻まれている選手もいる。常葉菊川の二塁手・町田友潤さんは、その1人だろう。

 2008年の全国高校野球選手権。常葉菊川は大阪桐蔭に敗れて準優勝となったが、決勝の実況で名言が生まれた。「セカンドに打ってしまえば望みはありません」。

 当時3年生だった町田さんにとっては春夏合わせて4度目の甲子園。誰もが安打だと思った打球を何度もグラブに収め、アウトを積み重ねた。二塁方向へ打球が飛ぶだけでスタンドから歓声が上がるほど、町田さんの守備に対する期待値は高かった。

 最後に聖地でプレーしてから14度目の夏を迎えた。中学時代から苦しんでいた腰痛の影響もあって、ヤマハに所属していた2013年に23歳で現役を引退。今は浜松市で放課後等デイサービスと児童発達支援の事業所を計4つ運営している。野球から離れて9年が経っても、「伝説の二塁手」の守備は色褪せない。だが、町田さんは「もともと守備は苦手だった」と明かす。

「中学の時は1番打者で、打撃のほうが得意でした。守備は全然、駄目でしたね。チームもあまり強くなかったので、先のステージを考えていませんでした。自分とは縁がないと思って、甲子園もほとんど見ていませんでした」

 中学時代、シニアのチームメイトは甲子園で高校野球を観戦したり、雑誌で見た高校球児と同じメーカーの野球用品を使ったりしていた。しかし、町田さんは興味が沸かなかったという。

責任感と危機感から徹底的に守備を磨いた

初めて甲子園の舞台に立った2年春に、常葉菊川にとって初の全国制覇に貢献。冬場に徹底的に守備を鍛え、聖地で躍動した 【写真は共同】

 甲子園でプレーするイメージを持ったのは、高校1年生の秋。3年生が引退して新チームがスタートし、打力を評価されて二塁手のレギュラーとなった。チームは秋季東海大会で優勝。センバツ出場を確実にし、町田さんは聖地を意識するようになった。ただ、芽生えたのは喜びではなく、責任感と危機感だった。
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