連載:夏の甲子園を沸かせたあの球児はいま

13年夏の甲子園を席巻した千葉翔太 「カット打法」誕生秘話とあの涙の真実

上原伸一
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「カット打法」で13年夏の甲子園を沸かせた千葉さん。とにかく塁に出るために身に付けた「ファールを打つ技術」だが、当初はまったく通用しなかったという 【写真は共同】

 2013年夏の甲子園。岩手・花巻東高の小さな左打者が、ファールで粘る「カット打法」で一躍時の人となった。準々決勝までの3試合で出塁率8割を誇り、チームをベスト4へとけん引した千葉翔太さん。高校卒業後、大学、社会人野球を経て、昨年11月に現役を引退した千葉さんに、「カット打法」の誕生秘話と、甲子園での思い出を語ってもらった。

きっかけは2年秋の県大会1回戦負け

初めて甲子園に登場したのは3年の夏。初戦の彦根東戦で3安打3打点の鮮烈なデビューを飾り、「カット打法の千葉」として一躍全国に知られる存在となった 【写真は共同】

「はじめまして、千葉です」

 待ち合わせ場所に現れた千葉翔太は、イメージよりも身体が大きかった。身長は高校時代から2センチ伸びて158センチだが、二の腕は太くたくましく、胸板も分厚い。大学、社会人で鍛え上げた証であろう。

 千葉が初めて甲子園に登場したのは3年生の夏。初戦の2回戦(対彦根東)で鮮烈なデビューを果たす。

 二番・センターの千葉は、追い込まれるとバスターのような構えに変えてファールで粘り、2打席目では13球投げさせて四球を選んだ。その後の打席でも何度も三塁側にファールを打ち、5打席で3安打3打点をマーク。彦根東の先発左腕・平尾拓也は千葉に対し、計142球中34球も費やした。

 この試合を境に、千葉の名は「カット打法」とともに全国に知れ渡っていく。カット打法の千葉──。誕生のきっかけになったのは、2年秋の県大会1回戦負けだった。
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著者プロフィール

1962年、東京生まれ。外資系スポーツメーカーなどを経て、2001年からフリーランスのライターになる。野球では、アマチュア野球のカテゴリーを幅広く取材。現在はベースボール・マガジン社の『週刊ベースボール』、『大学野球』、『高校野球マガジン』などの専門誌の他、Webメディアでは朝日新聞『4years.』、『NumberWeb』、『ヤフーニュース個人』などに寄稿している。

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