連載:高校野球で生き続ける野村克也の教え

「野村教室」の劣等生が甲子園で叶えたい夢 1本の電話で胸の鼓動は止まらず…

加藤弘士(スポーツ報知)
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 2018年には春夏通じて甲子園出場を果たした千葉・中央学院。相馬直樹監督は社会人時代、野村克也監督率いるシダックスで投手としてプレーした。わずか2年で“戦力外通告”を受けたものの、野村監督が愛した言葉「無形の力」を掲げ球児の指導を続ける。相馬監督は戦力外通告を受けた後、どのようにして指導者となり甲子園出場を果たしたのか? 『砂まみれの名将―野村克也の1140日―』の著者・加藤弘士氏が紹介する。

【写真は共同】

「悔しかったですよね。でも野村監督にクビを切られるというのはしょうがないなと。あの人に言われるんだから。ただ自分がどこまでできるかは、自分で決めたいなって」

 相馬は渡米し、独立リーグのトライアウトを受けた。異国の地で燃え尽き、現役引退を決断。帰国後は大体大の大学院に入学し、スポーツ心理学を専攻することになった。


「僕がシダックスでダメだった理由を探したいなと思って。投手の心理状態をどうやって上げるかとか、研究していました」


 相馬が大阪で修士課程を修了した07年、中央学院は不祥事で揺れていた。再建は急務だった。立て直しができる人材として声がかかり、監督の座に就いた。27歳だった。


「まずは不祥事がないように、野球部を落ち着かせるのがミッション。勝てとかそういうのは全くなかった。でも僕は勝たせてあげたかった。しっかりと組織を構築し、役割分担をすることが強いチームへの近道であることは、野村さんから学びましたから」


 現在のチームではコーチと部長、顧問の教諭、トレーナーと手厚いスタッフがきめ細かく選手に寄り添い、指導を行う。教員ではないコーチの人件費は父母会やOB会から捻出している。高校野球の監督は前に出て、体当たりで選手に指導を行うのが常だが、相馬は一歩引いた視点で俯瞰しているのが印象的だ。
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著者プロフィール

1974年4月7日、茨城県水戸市生まれ。水戸一高、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、1997年に報知新聞社入社。2003年からアマチュア野球担当としてシダックス監督時代の野村克也氏を取材。2009年にはプロ野球楽天担当として再度、野村氏を取材。その後、アマチュア野球キャップ、巨人、西武などの担当記者、野球デスクを経て、2022年3月現在はスポーツ報知デジタル編集デスク。スポーツ報知公式YouTube「報知プロ野球チャンネル」のメインMCも務める。

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