連載:高校サッカー選手権 名将の哲学

名門・帝京で黄金期を築いた古沼貞雄氏 選手権で6度の優勝、勝ち続けた極意とは

栗原正夫
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帝京で黄金時代を築いた古沼貞雄氏。現在は矢板中央のアドバイザーを務める 【栗原正夫】

 高校サッカー界でその名を知らぬ者はいない。古沼貞雄氏(82)は、1964年に東京の名門・帝京の体育教師に赴任すると、翌年監督に就任。以降、74年度の初優勝を皮切りに03年に退任するまで39年間で冬の全国高校サッカー選手権で優勝6度(戦後最多タイ)、準優勝3度、夏のインターハイでも優勝3度、準優勝4度と帝京で黄金期を築いた。

「39年も1つの仕事を全うできたのは情熱があったから。もちろん、私1人の結果ではなく、選手やスタッフの情熱にも助けられました」

 自らの足で待ち合わせ場所に姿を見せた古沼氏は、そう言うと穏やかな笑みを浮かべた。

 今年100回大会を迎える選手権では08年以降、アドバイザーとして携わる栃木県代表の矢板中央のベンチに座る予定。いまだ情熱を燃やし続ける名将に、高校サッカーで結果を出し続けてきた‟極意”を聞いた。

元々はサッカーの素人だった

古沼氏が20代半ばで赴任した1960年代当時の帝京は、全国で勝てるほどの強豪校ではなかった 【写真は共同】

 古沼氏が20代半ばで赴任した当時の帝京は、都内でそこそこの結果を出していたものの、全国で勝てるほどの強豪校ではなかった。学生時代は陸上部に所属し、箱根駅伝出場を目指したこともあった古沼氏は、そんなチームをどう強化していったのか。

「最初は、2、3年の腰かけのつもりだったんです。元々は私自身、サッカーの素人でした。板橋区にある帝京は(当時静岡、広島とともにサッカー御三家の1つだった)埼玉県からも近く、川口市とか旧浦和市などからボール扱いの上手な生徒がたくさん来ていて、選手権には1年目から出られました。ただ、全国ではせいぜい1、2回戦。それでも僅差で負けたチーム、たとえば65年度の1回戦で0-1と敗れた京都商(京都)はベスト4、67年度の1回戦で1-2と敗れた洛北(京都)は準優勝と帝京に勝ったチームがいいところまで進むのが悔しくて……。それで、あのチームができるならウチもと火がついたんです」
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著者プロフィール

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

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