国見で高校サッカー選手権6度の優勝 名将・小嶺氏は弱小校をどう強化したのか
高校サッカーの名将といえば、必ず名前の挙がる小嶺忠敏氏 【栗原正夫】
その間に高木琢也(現SC相模原監督)、三浦淳寛(現ヴィッセル神戸監督)、大久保嘉人(セレッソ大阪)、平山相太(元FC東京など)、徳永悠平(元FC東京など)ら多くの日本代表選手も輩出したきた。いったいどんな指導哲学で常勝チームを作り上げてきたのだろうか。
現在も長崎総科で指揮を執る小嶺氏は、国見赴任当時を思い出しながら、こう話し始めた。(取材日:10月28日)
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校庭は野球部が幅を利かせていて使用できず、町長に頼んで借りたグラウンドも草が生い茂っていました。そこに自腹で5万円を出して買ったゴールを置いて、海苔の養殖に使う網を張っているような状態で、選手を集めるのも大変でした」
高校サッカーの指導は、まず人間教育
小嶺氏はピッチ内のことよりも、挨拶や身なりを整えるしつけを徹底することでチームに規律をもたらしてきた 【栗原正夫】
練習は朝の6時10分から7時半、午後4時から6時半の2回で、毎日必ず姿を見せた。当初は練習時間になっても選手が集まらなかったため、選手一人ひとりの自宅を回るなど送り迎えをすることもあった。部員は全員坊主頭。それが国見サッカーの象徴でもあった。小嶺氏はピッチ内のことよりも、挨拶や身なりを整えるしつけを徹底することでチームに規律をもたらしてきた。
北海道・室蘭大谷の躍進が闘志に火をつけた
78年度の選手権で北海道の室蘭大谷が準優勝を遂げたことに、大きな刺激を受けた小嶺氏 【写真は共同】
「指導者になったばかりの頃、高校時代の仲間に『日本一を目指す』と言ったら、『もし優勝したら島原中を逆立ちして歩く』と笑われました。
77年に夏のインターハイで長崎県勢として初優勝しましたが、冬の選手権は無理というのが世間の評価でした。ただ、78年度の選手権で北海道の室蘭大谷が準優勝を遂げたことに、大きな刺激を受けました。正月明けに準優勝の祝賀会にも呼んでいただき、北海道に行きました。そしたらグラウンドには1メートル以上の雪が積もっていました。室蘭大谷は決勝でこそ敗れましたが、北海道では冬場はグラウンドが使えず、夕暮れだって早い。対して、長崎は一年中サッカーができるし、日も長い。そんな状況を目の当たりにし、地理的な言い訳などできないと自分の甘さを痛感しました。コツコツやっていけば私にもチャンスがあると思ったんです」