小嶺忠敏氏と選ぶ国見歴代ベストイレブン アジアの大砲にJリーグ通算最多得点者も
小嶺忠敏氏と「国見歴代ベストイレブン」を選出 【スポーツナビ】
84年に島原商から国見に移ると06年度まで同校を21年連続で冬の選手権出場に導き、戦後最多タイの6度の優勝ほか、夏のインターハイも5度制した。その間に育てたJリーガーは高木琢也(現SC相模原監督)、三浦淳寛(現ヴィッセル神戸監督)、大久保嘉人(セレッソ大阪)、平山相太(元FC東京など)、徳永悠平(元FC東京など)ら50人以上にのぼる。
そんな小嶺氏と一緒に国見の歴代ベストイレブンを選出した。(取材日:10月28日)
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我慢して使い続け‟アジアの大砲”に
最終的にはアジアの大砲と呼ばれるまでになった高木琢也(写真)は、小嶺氏が国見に赴任したときの2年生で、最初に指導した選手だ 【写真:山田真市/アフロ】
スピードのある松橋章太もサブに入れたい。中学までは陸上部との掛け持ちで、100メートルを11秒台で走るなど、速さは当時日本代表の岡野雅行より上でした。その松橋と大久保嘉人が3年生だった2000年に優勝したときは、ちょうどフィリップ・トルシエ監督が日本代表を指揮していて、高校年代でもそれを真似して‟フラット3”で守るチームが多かったんです。それで、大久保と松橋に徹底的に相手の裏を突くように指示を出すと、面白いように点が取れました。結局、その年はインターハイと国体(国見単独で参加)も勝って、高校3冠でした。
松橋も高木と一緒で技術は他の選手よりも劣っていたかもしれません。でも、スピードや高さは天性のもの。技術は後からつくので、ときに指導者は我慢して選手を起用することも必要なんです」
「嘉人には動物的な感覚と瞬間的なスピードがあった」
小嶺氏「負けん気の強さはありますが、正義感が強く根は真面目。素直なぶん、プロに送り出すときは、誰かに騙されやしないかと心配したものです」 【写真:アフロスポーツ】
初出場したときの司令塔だった其田秀太(元横浜フリューゲルスなど)は、まさに天才という言葉がぴったりの選手でした。それから初優勝したときの永井秀樹(元東京ヴェルディなど)に、アンカーには兵藤慎剛(SC相模原)。兵藤はチームに1人はいてほしい人間力のある選手でしたし、まとめ役として期待。ほかにも、柴崎晃誠(サンフレッチェ広島)、永井篤志(元モンテディオ山形など)、小島光顕(元サンフレッチェ広島など)らいい選手がいました」
三浦淳寛は92年度の3度目の優勝時に攻撃の中心としてチームを引っ張ったが、ここでは左サイドバックとして選出した。
「淳寛はリーダーとしても素晴らしかった。左サイドバックには初優勝時に立石敬之(シント=トロイデンCEO)がいましたし、路木龍次(元サンフレッチェ広島など)はいまどこで何をしているのか(苦笑)。右は中村北斗(元アビスパ福岡など)がいますし、センターバックは右サイドもできる徳永悠平と山村和也(川崎フロンターレ)。GKは島原商で選手権に初出場した際に坪田和美という、のちにJFLのヤンマーで活躍したいい選手がいたのですが……。国見だと、高校時代は性格的にいい加減なところもありましたけど都築龍太(元浦和レッズなど)ですかね(笑)」