ファンが選ぶ!高校サッカー選手権「歴代ポジション別ランキング」

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スポーツナビでファン投票を実施した高校サッカー選手権「歴代ポジション別ランキング」企画。ファンの方が思う選手権史上最高の選手を、ポジション別で投票してもらいました。

今回はMF編。はたして1位に輝いた選手は!?

ランキング

順位 名前(当時の所属校/都道府県) 出場年度 得票率
1 中村 俊輔(桐光学園/神奈川) 95・96年度 28.91%
2 本山 雅志(東福岡/福岡) 95・97年度 25.52%
3 乾 貴士(野洲/滋賀) 05・06年度 24.79%
4 柴崎 岳(青森山田/青森) 08・09・10年度 20.74%
5 中田 英寿(韮崎/山梨) 93年度 19.02%
6 名波 浩(清水商/静岡) 88・90年度 13.94%
7 前園 真聖(鹿児島実/鹿児島) 89・90・91年度 11.98%
8 本田 圭佑(星稜/石川) 02・03・04年度 9.41%
9 中田 浩二(帝京/東京) 95・97年度 9.17%
10 遠藤 保仁(鹿児島実/鹿児島) 95・96・97年度 8.76%
11 礒貝 洋光(帝京/東京) 85・87年度 8.55%
12 澤登 正朗(東海大一/静岡) 86・87年度 7.80%
13 石塚 啓次(山城/京都) 92年度 5.70%
14 三浦 淳宏(国見/長崎) 90・91・92年度 5.25%
15 上野 良治(武南/埼玉) 89・90・91年度 5.01%
16 藤田 俊哉(清水商/静岡) 88年度 4.88%
17 バスケス・バイロン(青森山田/青森) 18年度 4.67%
18 宮原 裕司(東福岡/福岡) 97・98年度 4.05%
19 小笠原 満男(大船渡/岩手) 96・97年度 3.64%
20 和泉 竜司(市立船橋/千葉) 11年度 3.61%

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解説

横浜Mでユース昇格を逃した中村俊輔は桐光学園で大きく成長。選手権ではファンタスティックなプレーを随所で披露した【写真:青木紘二/アフロスポーツ】

 4つのポジションの中で最も得票率に差がなく、大激戦だったMF部門。そんな名手たちの争いを制したのは、日本が誇るファンタジスタ・中村俊輔(1995・96年度出場)だ。横浜マリノスのジュニアユースから桐光学園に進学。8番を背負った2年次は初戦で東福岡に敗れたが、10番を背負った3年時は決勝で北嶋秀朗擁する市立船橋に敗れたものの、高校ナンバーワンMFの名に相応しいプレーを連発する。プロ入り後の活躍は、詳しく触れるまでもないだろう。42歳となった今なお、横浜FCでプレーしている。

 2位には高校年代3冠を達成した“赤いすい星”の10番、本山雅志(東福岡/95・97年度出場)が入った。4-3-3のインサイドハーフを務め、パス良し、ドリブル良し、シュート良し、と三拍子そろったMFとして、古賀誠史、19位の宮原裕司(97・98年度出場)、金古聖司、手島和希らタレント軍団をけん引した。

 その東福岡と“雪の国立”で決勝を戦った帝京のキャプテン、中田浩二(95・97年度出場)は9位にランクイン。正確な左足のキックと広い視野で優雅にゲームメイクをするボランチとして“カナリア軍団”を決勝に導くと、卒業後は鹿島アントラーズに加入。本山、19位の小笠原満男(大船渡/96・97年度出場)らとともに黄金期を築いた。

 中田の大先輩にあたるのが11位に入った天才MF・礒貝洋光(85・87年度出場)だ。野性味あふれる風貌から繰り出される繊細なボールタッチとダイナミックなプレーは、間違いなく超高校級だった。

 その礒貝擁する帝京と、12位の澤登正朗(86・87年度出場)擁する前年王者の東海大一による87年度大会の準々決勝は事実上の決勝戦と呼ばれ、スタンドに収まりきらない観客が大宮サッカー場のタッチライン際の特等席まであふれた。この試合は「高校サッカー史上に残る名勝負」とも言われている。

2年から10番を背負った本田は3年時にはキャプテンに就任。自慢の左足で星稜を初の国立の舞台へと導いた【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 このときの帝京には礒貝だけでなく、森山泰行、池田伸康、本田泰人、飯島寿久ら、のちのJリーガーが目白押しだったが、それ以上のタレント軍団だったのが、抜群のゲームメイクが光った6位の名波浩(88・90年度出場)が3年時の清水商業だ。同級生ではGK大石尚哉、DF大岩剛、薩川了洋、望月慎之、FW田光仁重、山田隆裕が、1学年下の望月重良、西ヶ谷隆之もプロになっているのだ。

 異色なのは、13位の石塚啓次(92年度出場)だろう。石塚の選手権におけるプレー時間は、わずか22分。というのも、大会前の練習試合で右足小指に亀裂骨折を負っていたからだ。エースを欠く山城は「石塚を国立に連れて行く」を合言葉に勝ち進んでいく。国見との決勝は0−2と敗れたが、2点のビハインドの後半18分に“和製フリット”が登場すると、スタンドはどよめいた。

 その山城を決勝で下した国見のエースが、14位の三浦淳宏(90・91・92年度出場)だ。プロ入り後に左サイドのスペシャリストとなる三浦は、高校時代はセカンドトップを務めるアタッカーだった。

 長髪をなびかせながらスルーパスを繰り出した15位の上野良治(武南/89・90・91年度出場)は、礒貝に続く天才MFとして名を馳(は)せた。上野と同学年の鹿児島実業の前園真聖(89・90・91年度出場)は重心の低いドリブルを武器に2年時に準優勝に輝くと、3年時には3回戦で川口能活が守るゴールから2点を奪い、清水商業を退けた。

 18年のロシア・ワールドカップに出場した日本代表選手では、3位の乾貴士(2005・06年度出場)、4位の柴崎岳(青森山田/08・09・10年度出場)、8位の本田圭佑(02・03・04年度出場)が20位以内にランクインした。

“セクシーフットボール”で旋風を巻き起こした野洲の一員だった乾は2年時に全国制覇を達成。連覇を狙った3年時の選手権は3回戦で敗れたものの、変幻自在のドリブルと繊細かつ大胆なボールコントロールは大会随一。横浜F・マリノスでは不遇をかこったが、セレッソ大阪で才能を大きく開花させた。

 1年時から青森山田の10番を背負った柴崎は2年時に準優勝に輝いた。3年時は優勝する滝川二の前に3回戦で涙を飲んだが、「世代屈指のMF」に相応しく、絶妙なパスを連発した。卒業後は鹿島アントラーズを経て、17年1月からラ・リーガで奮闘中だ。

 ガンバ大阪ジュニアユースから星稜に進学した本田は、1年時は初戦敗退、2年時は3回戦敗退を喫したが、キャプテンとして臨んだ3年時、その左足でチームをベスト4に導くと、名古屋グランパスでプロキャリアをスタートさせた。

(企画構成:YOJI-GEN)

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