連載:ランキングと座談会で振り返る「高校サッカー選手権100回の歴史」

水沼貴史、ワッキー、土屋雅史が厳選する選手権の偉大な100人「GK&DF編」

吉田治良
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座談会参加メンバーの水沼(中央)、ワッキー(右)、土屋(左)の3氏。年代の異なる3人が、思い入れたっぷりに「選手権を彩った偉大な100人」を選出する 【スポーツナビ】

 第100回目を迎える高校サッカー選手権。12月28日に開幕する記念大会を前に、その長い歴史を振り返るべく、選手権とゆかりの深いお三方による座談会を開催した。

 浦和南高の1年時に全国制覇を成し遂げた元日本代表FWの水沼貴史さん、市立船橋高時代に出場した選手権で、当時清水商業の名波浩さんと激闘を演じた「ペナルティ」のワッキーさん、そして高校サッカー事情に精通するライターで、自身も高崎高3年時のインターハイで大会優秀選手に輝いた土屋雅史さんによるトークセッションは、知られざるエピソード満載の濃密な2時間となった。

 まずは100回大会にふさわしく、「選手権を彩った偉大な100人」を厳選する(首都圏開催となった1976年度大会以降の選手が対象)。第1回はGK(10人)編とDF(20人)編だ。

表紙を飾れる唯一無二のGKが川口能活

基本技術が高いうえに、プレースタイルに華もあった清商の川口(右)は、文句なしで歴代トップ10入り。GKの概念を変えた稀有な存在だった 【写真:山田真市/アフロ】

──本日はよろしくお願いします。まずは、選手権を彩った偉大な100人を選んでいきましょう。首都圏開催となった1976年度大会以降の選手が対象になります。

水沼貴史(以下、水沼) 100人も選ぶの?(笑)

──はい、100回記念なので(笑)。最初にゴールキーパー(GK)からお願いします。みなさんの話し合いで、10人を厳選していただければと思います。

水沼 僕のイチオシは永井則夫(古河一)。法政大の後輩というのもありますけど、高校時代から総合的な能力が高かったですからね。

土屋雅史(以下、土屋) 古河一が優勝した時(78年度、80年度)のGKですよね。

水沼 そう。ただ一番は川口能活(清水商=現在の清水桜が丘)だね。GKの概念を変えましたから。プレースタイルに華があったし、なによりあんなにモテるGK、なかなかいないでしょ(笑)。

ワッキー 確かに。サッカー雑誌の表紙と言えば、大抵はアタッカーの選手なんですけど、GKでメインを飾れる唯一無二の存在でしたよね。プレーはもちろん、マスクもいいし、完璧だった。

土屋 清商の大滝(雅良)監督が、国見との決勝(93年度)が終わったあとのインタビューで、「勝因は能活」って話していたくらいですから。

ワッキー でも、能活は一度だって天狗にならなかった。スターのままJリーガーになって、スターのまま日本代表に行って、スターのまま引退。それでいて腰が低いんだもん(笑)。

土屋 清商では真田(雅則)さんもインパクトがありました。

水沼 インパクトなら岐阜工の下川(健一)や武南の木寺(浩一)も負けてないよ。下川が出てきた時は、日本にもこんなにデカいGKがいるんだって驚いた。

土屋 また岐阜工っていうチームも渋かったですよね。

水沼 確かに。木寺は武南が全国の常連になり始めた頃のGKでしょ。それから清水東に初の全国制覇(82年度)をもたらした膳亀(信行)も、背は小さいけど頭がいいGKだったな。のちに清水東の監督も務めたよね。

ワッキー 下川さんは、僕が1年の時の2つ上のスーパースター。もうケタが違うっていうか、当時のGKの中で1人だけ突出してたような気がしますね。
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著者プロフィール

1967年、京都府生まれ。法政大学を卒業後、ファッション誌の編集者を経て、『サッカーダイジェスト』編集部へ。その後、94年創刊の『ワールドサッカーダイジェスト』の立ち上げメンバーとなり、2000年から約10年にわたって同誌の編集長を務める。『サッカーダイジェスト』、NBA専門誌『ダンクシュート』の編集長などを歴任し、17年に独立。現在はサッカーを中心にスポーツライター/編集者として活動中だ。

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