守護神として、精神的支柱として圧倒的な存在感を放った川口。大滝雅良監督に「勝因は能活」と言わしめるほどだった【写真:岡沢克郎/アフロ】
GK部門で1位に輝いたのは、1993年度大会で清水商業に5年ぶりの優勝をもたらした川口能活(91・93年度出場)だ。得票率36.79%は2位以下を大きく引き離す圧倒的な数字。果敢に飛び出す攻撃的な守備スタイルとキャプテンシーは当時から光っており、甘いマスクも相まって一斉を風靡(ふうび)した。高校卒業後は横浜マリノスに加入。その後のアトランタ五輪やワールドカップでの活躍は周知のとおりだ。
1年時から名門の守護神を務めた川口とは対象的に、2位の楢崎正剛(92・94年度出場)は3年時に定位置をつかむ遅咲きだったが、2回戦で連覇を狙う清水商業の攻撃をストップし、番狂わせを演出。奈良県勢で74年ぶりとなる4強進出の原動力となった。奈良育英高からプロ入り後は横浜フリューゲルス、名古屋グランパスの守護神を務め、川口とともに日本のGK陣をけん引してきた。
ある意味、川口以上のインパクトを放ったのが南雄太(95・96年度出場)だろう。なにせ1年時に正GKとして全国優勝を経験しているのだ。高校3年時には飛び級でU-20日本代表に選ばれ、ワールドユース・マレーシア大会に出場。2年後にも二度目のワールドユースとなるナイジェリア大会に同級生の小野伸二、高原直泰、本山雅志らと出場し、準優勝に貢献した。
4位と5位には青森山田の廣末陸(2014・15・16年度出場)と櫛引政敏(08・09・10年度出場)がランクイン。前者は決して体格に恵まれているわけではないが、抜群の反射神経でビッグセーブを連発。フィールドプレーヤーさながらの足技で攻撃の起点となり、3年時に高橋壱晟らとともに全国制覇を経験。卒業後には古巣のFC東京に加入し、レンタル先のレノファ山口、FC町田ゼルビアで武者修行を積んでいる。
後者は対照的にどっしりと構え、存在感あふれるセービングを披露。2年時には同級生の柴崎岳とともに選手権準優勝に輝いた。高校卒業後は清水エスパルス、鹿島アントラーズ、ファジアーノ岡山と渡り歩き、現在はモンテディオ山形の正守護神を担っている。
読売(現東京ヴェルディ)ジュニアユースから静岡学園に入学した南。1年生にして選手権優勝を成し遂げた【写真は共同】
往年の選手権ファンにとって懐かしいのは、7位の下川健一(86・87・88年度出場)、8位の真田雅則(85年度出場)、9位の仁田尾博幸(90・91年度出場)だろう。
岐阜工業の下川は187センチの長身を生かしたセービングとPK阻止を得意とし、3年時の選手権ではベスト8に進出。その後、古河電工サッカー部、ジェフユナイテッド市原(現千葉)の守護神として活躍し、日本代表として96年のアジアカップに出場した。
真田は清水商業が選手権初制覇を成し遂げたときの守護神だ。身長は177センチと小柄だが、鋭い反応で好セーブを連発。高校卒業後は全日空サッカークラブに入団。1992年には地元のプロクラブである清水に移籍し、長らく正GKを務めた。
仁田尾は同期の前園真聖、藤山竜仁らとともに90年度大会における鹿児島実業準優勝の立役者だ。福岡大を経て横浜F、市原、京都パープルサンガ、FC東京に在籍したがプロとしての出場はなく、99年限りでプロ選手としてのキャリアを終えている。
徳重健太と黒河貴矢はそれぞれ国見、市立船橋で全国制覇を達成した。現在は地元のV・ファーレン長崎でプレーする徳重は、2年時、3年時の選手権連覇を達成。先輩には大久保嘉人や松橋章太、同学年には徳永悠平、2学年下には平山相太がいた。
市立船橋の黒河はセンターバックの羽田憲司や中澤聡太らと堅守を築き、6試合無失点という偉業で全国制覇を達成。清水でプロ入りを果たすと、東京ヴェルディ1969、千葉、アルビレックス新潟を渡り歩いた。
(企画構成:YOJI-GEN)