プロ野球ドラフト史「全12球団“当たり年”ランキング」

阪神の元スカウトが明かすドラフト秘話 藪、井川、赤星、鳥谷をいかに獲得したか

楊枝秀基
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菊地氏が担当し、獲得に成功した選手の1人が鳥谷。早大時代から能力の高さはもちろん、なにより野球に対する姿勢が素晴らしかったという 【写真は共同】

 現代のプロ野球選手はドラフト指名を受けプロの門を叩く。そのなかで重要な役割を担うのが、スカウトだ。選手はプロへの入り口を作ってくれた担当スカウトを敬う。人生の岐路に立った時には、相談、報告を欠かさない例も多い。引退後もその関係は続く。

 今回は人気球団の阪神で1989年から2014年まで25年間に渡りスカウトを務め、東日本統括も担った菊地敏幸さんにドラフトにまつわる逸話を明かしてもらった。

ランニング姿を見ただけで、藪だと分かった

――スカウトとして初めて担当した選手は?

 1990年ドラフトで3位指名した山崎一玄(投手/静岡高)ですね。彼が私の第1号です。この年は全体を見渡しても高校生の指名候補選手が少なかった。当時の阪神は投手陣が手薄でしたし、チャンスはあるかなと思い獲得しました。これはご両親にもお話ししましたが、私がスカウトとして初めて担当した選手ですから、本人に「活躍してくれないと私のクビが飛ぶから、絶対に頑張れ!」と伝えたのを覚えています。

――スカウト就任から5年目、93年に逆指名制度が導入されました。阪神は他球団の追随をかわし藪恵壹の入団を取り付けた。そして、結果は新人王。担当スカウトとしてどう動いたのですか?

 藪は一浪で東京経済大に進学しました。当初は情報が入っていなかったんですが、他大学の関係者から「いい投手がいる」という話を聞きました。その時点で4年生の春。首都大学リーグの二部はカバーしていなかったですし、期待もしていませんでした。場所は駒沢野球場だったなぁ。

――実際にプレーを見て可能性を感じた?
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著者プロフィール

1973年生まれ、神戸市出身。関西学院大から98年に『デイリースポーツ』入社。巨人、西武、ヤクルトなどを担当した後、2004年は合併消滅した近鉄、05〜10年は阪神、11年はオリックス番記者を務めた。13年からフリー。東京スポーツコラム「ワッショイ!!スポーツ見聞録」を不定期連載中。

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