「必然」だったジャイアントキリング 森保ジャパンに慢心はなかったか?
16年ぶりに日本を撃破したイバンコビッチ監督
試合後にイバンコビッチ監督が「歴史的な勝利」と振り返ったように、オマーン代表は日本代表を入念に研究して勝利に結びつけた 【写真:森田直樹/アフロスポーツ】
オマーン代表、ブランコ・イバンコビッチ監督の試合後のコメントである。
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試合前、オマーン代表に関して私たちが持ち得た情報は、極めて限られたものであった。ランキングと対戦成績のほかに、直前にセルビアで1カ月間の長期合宿をしていたことくらい。「なぜセルビア?」と思い、監督の名前を確認したら、いかにも旧ユーゴ系(ただしセルビア人ではなくクロアチア人)。そのイバンコビッチ監督が、16年前にイラン代表を率いていたことを思い出し、ふいにテヘランでの最終予選の情景がよみがえった。
2005年3月25日、11万人の大観衆(しかも男性ばかり)で埋まったアザディ・スタジアムで、日本はイランに1-2で敗れている。当時の日本には、中田英寿、中村俊輔、小野伸二、高原直泰という錚々(そうそう)たる面々が並んでいた(日本の1点は福西崇史によるもの)。そしてイランは、2ゴールを挙げたバヒド・ハシェミアンをはじめ、メフディ・マハダビキアやアリ・ダエイも健在。このタレント軍団を率いていたのが、現在のオマーン代表監督である。
もっとも「同じ監督に負けた」とはいえ、今から16年も昔の話だ。しかも、アザディというアジアでも究極的なアウェーで、相手が屈指のタレントを誇るイランとなれば、納得できる敗戦と言えなくもない。ところが今回はホームで、相手はイランのように人材が豊富でもなく、しかも今の日本は欧州組が主流。当時と比べて、明らかに戦力が充実していたにもかかわらず、森保一監督率いる日本はオマーンにあっさり敗れてしまった。
「奇跡」を「必然」にさせた3つの要因
後半から出場した古橋(中央)は本来のポジションである前線ではなく左サイドでの起用となり持ち味を発揮したとは言い難かった 【写真:森田直樹/アフロスポーツ】
一見すると「奇跡」のようでありながら、終わってみれば「必然」と思われる要因は少なくとも3つあった。すなわち(1)オマーンとのコンディションの差、(2)想定外の主力の離脱、(3)効果的な修正力の欠如、である。このうち(1)については、すでに述べたとおり、オマーンには1カ月の準備期間があった。対して日本は、合宿がスタートしたのが試合の3日前。しかも前日になっても、招集メンバー全員がそろうことはなかった。
そこに重なったのが(2)の想定外の主力の離脱である。この試合では、W杯予選8試合連続ゴールの南野拓実が、コンディション不良でベンチスタート(結局、出番なし)。それ以上に痛かったのが、南野と同じ理由で前日練習に参加できなかった、板倉滉の離脱。さらに冨安健洋と守田英正が、入国のタイミングが遅れたためベンチ外となり、ボランチとセンターバックのバックアッパーが不在となってしまった。
こうした状況に加えて、日本を窮地に追い込むこととなったのが(3)の効果的な修正力の欠如である。相手が中央を固めてきたことについては、多くの選手が指摘しているところ。森保監督自身「相手がある程度、中央の守備を固めてくることは起こり得ること」とコメントしている。両サイドは高い位置を保つことができていたが、後半に左MFに起用された古橋亨梧が有効に機能していたとは言い難く、なぜか両サイドバックの長友佑都と酒井宏樹は90分間プレーし続けることとなった(試合後、酒井の離脱が発表された)。
森保監督が事態打開を託したのは、若い堂安律と久保建英。しかしそれ以前に、古橋を左ではなく前線にスライドさせるとか、消耗したサイドバックにフレッシュな選手を投入するとか、他にやるべきことがあったのではないか。何もできない日本を尻目に、オマーンは後半43分、途中出場のイサム・アブダラ・アルサビのゴールで均衡を破る。そして5分間のアディショナルタイムをしのぎきり、オマーンの歴史的アップセットは成立した。