矢部浩之×中村憲剛スペシャル対談 アジア最終予選は“当たり前”との戦い

吉田治良

引退後、初めて最終予選を迎える中村憲剛さん(右)に、「やっと俺らの気持ちが分かる」と矢部浩之さん。過去の名場面も振り返りながら、楽しく最終予選を展望してくれた 【YOJI-GEN】

 東京五輪の熱も冷めやらぬまま、9月2日から2022年カタール・ワールドカップ(W杯)のアジア最終予選がスタートする。7大会連続の出場を目指す日本代表だが、その歴史が物語るように、アジアでの戦いは決して一筋縄ではいかないはずだ。ここでは選手としてその難しさを知る中村憲剛さんと、DAZNの人気サッカー番組『やべっちスタジアム』でメインMCを務める矢部浩之さんに、注目ポイントを挙げていただくとともに、今回、最終予選の全試合を配信することが決まったDAZNへの期待感も語ってもらった。

大変なのは勝ち点3がマストのホームゲーム

ホームではベタ引きの相手を崩せずに苦しむケースも多いが、「だから見ている側は面白い」と矢部さん。余裕で勝ち抜けてほしいと思う一方で、複雑な感情も 【YOJI-GEN】

──いよいよ9月2日のオマーン戦(ホーム)を皮切りに、カタールW杯のアジア最終予選が始まりますね。

矢部浩之(以下、矢部):最高ですね。東京五輪から間を空けずに、ましてや五輪が4位と惜しい終わり方をしているから、沈んでいる暇もなく、すぐに次(の目標)へというのはいい流れですね。

中村憲剛(以下、中村):U-24代表からも新たに何人かはA代表に入ってくるでしょうし、東京五輪で盛り上がったサッカー熱がそのまま来そうな雰囲気はありますよね。ただ、個人的には現役を退いて初めて迎える最終予選なので、ちょっと変な感じがしています(笑)。

矢部 不思議な気持ちやろうな、これまで最終予選を戦っていた憲剛からしたら。

──最終予選というのは、やはり特別な高揚感があるのですか?

中村 ありますね。独特ですから、空気感が。

矢部 プレッシャー、たまらんと思うわ。

中村 (ホームゲームは)スタジアムも超満員ですし、相手も必死に守ってきますから。それをなんとかこじ開けなくてはいけないし。

矢部 でも引退した今は、自分ではなんにもできないわけやん?

中村 そうですね。プレーでは貢献できないので。

矢部 やっと俺らサッカーファンの気持ちが分かるわけや(笑)。

中村 信じて応援するしかないですよね。でも、今回も周りは「きっとW杯に出るだろう」って当たり前のように思っているわけじゃないですか。そのハードルって、めちゃくちゃ高いんですよ。

矢部 当たり前に出ると思ってるからね。それで怖いのが、俺も来年、日本代表を応援しにカタールへ行くつもりでいること。だからもし、W杯に出られへんかったら、俺もカタールに行かれへん(笑)。

中村 ただ、そう見られたり、思われたりすることは、日本サッカーが成熟してきた証拠でもありますよね。僕が学生の頃は、日本がW杯に出るなんて考えられなかった。見る大会だと思っていましたから。(94年アメリカW杯最終予選で)「ドーハの悲劇」を経験して、(98年フランスW杯最終予選・第3代表決定戦で)「ジョホールバルの歓喜」を味わって、そこからですからね、意識が変わっていったのは。もっとも、そんなムードの中で最終予選を戦うのは、なかなかのプレッシャーでしたけど。

矢部 「アジアじゃ強いんでしょ?」っていうね。

中村 特にホームゲームが大変なんですよ。勝ち点3がマストという重圧がありますし、逆にほとんどの対戦相手は勝ち点3さえ与えなければオーケーだと、なりふり構わず引いてきますからね。こじ開けるのにいつも苦労する。

矢部 まあ、だから見ている側は面白いんだけどね。これをどうこじ開けるのかなって。韓国とかオーストラリアなら、まだ攻めてくれる分、スペースもできるけど。

中村 そうなんですよ。がっぷり四つで組んでくれるチームがほぼないので。

──これは大変だったという最終予選の試合を、1つ挙げるとしたら?

中村 自分が出た試合で言うと、勝てば南アフリカW杯出場が決まるシチュエーションで迎えた、アウェーのウズベキスタン戦(09年6月6日)ですね。開始早々(9分)に僕のパスから岡崎(慎司)が決めて、結果的に1-0で勝つんですが、先制してからは防戦一方でしたからね。他の国もそうですが、日本でやる時とはまったく戦い方を変えてきたので、違うチームと戦っているような感覚がありました。それにあの試合では、ハセ(長谷部誠)が退場になるなど、レフェリングにも悩まされた記憶があります。

劇的な勝ち方をする試合も1回くらいは……

「森保ジャパンはかつてないくらい選手層が充実している」と中村さん。なかでも2列目は激戦区だが、トップ下では鎌田大地が頭ひとつ抜けた存在になりつつある 【Photo by Masashi Hara/Getty Images】

──矢部さんにとって、思い出深い最終予選の試合は?

矢部 世代的にも、やっぱりドーハ、そしてジョホールバルですね。特にジョホールバルは、たまらなかった。あの時間帯、みんなの足が止まっている状況で、中田英寿があんなシュートを打てるというのが、すげえなと(2-2で迎えた延長の118分、中田のミドルシュートのこぼれ球を岡野雅行が決めて、ゴールデンゴールで勝利を収めた)。そして、ゴールを決めた岡野に向かって全員が駆け寄っていく中、中田ヒデだけはちょっとだけ笑みを浮かべながら、ゆっくりとベンチに引き揚げていく……かっこええ! って(笑)。

──最近の試合では?

矢部 ロシアW杯の最終予選、ホームのイラク戦ですね。1-1の同点で迎えたアディショナルタイムに山口蛍が決めた、あのボレーのミドルシュート。思わずソファーから立ち上がったもん。

中村 僕も立ち上がりました(笑)。出場を決めたオーストラリア戦の井手口(陽介)のミドルもすごかったけど、インパクトで言ったら蛍でしょうね。

矢部 あれは本人も気持ち良かったやろうなぁ。

──最終予選では劇的なゴールが多いですよね。

中村 基本的に苦戦しますからね。時間が経つにつれてスタジアムに充満するんですよ、(ゴールは)まだかまだかっていう空気が。

矢部 勝手なもんで、2-0、3-0とかで余裕で勝ってほしい気持ちがある半面、ああいうドラマチックな試合も好きやねんな。台本書かれへんから、あのドラマには。

──今回のグループ分け(日本はグループBでオーストラリア、サウジアラビア、中国、オマーン、ベトナムと同組)についての印象はいかがですか?

中村 最終予選なので、どこもひと癖、ふた癖ある難敵ばかりです。それでも日本は1位で突破するだけの力を付けてきたと思うし、その力を堂々と見せつけてほしいですね。まあ、現役のときなら、そんなことは絶対に言わないですけど(笑)。

矢部 でも、そんな中でも、苦戦しながら劇的な勝ち方をする試合を一回くらいは見せてくれって、どんだけわがままやねん(笑)。

──イランやイラクなど、中東勢がもう一方のグループに結構固まりましたが、日本もサウジアラビア、オマーンとのアウェーゲームがあります。現役時代、中東への遠征はきつくなかったですか?

中村 日本から行く分には割とすぐにアジャストできるんですけど、戻ってきてからの方がきつかったイメージがありますね。海外組の選手からすると、中東の方が近いので意外と負担が少ないんじゃないかな。今回はコロナ禍でもありますし、ホームとアウェーで招集メンバーを変える可能性もありますよね。そういった意味では、U-24代表の選手も自信を付けているでしょうし、今の森保ジャパンはかつてないくらい選手層が充実していると思います。それは森保(一)さんが、A代表とU-24代表の監督を兼任していたメリットでもあると思います。

矢部 森保さんも、誰を呼ぶか、悩むやろうな。まあ、うれしい悩みではあるんでしょうけど。

中村 ただ、オーバーエイジを除いてU-24でA代表のメインキャストを張れるような絶対的な選手がいるかというと、そこまでの存在はまだいないかなと。あくまでも今のA代表の選手たちがベースになるはずで、そこに若い選手たちが挑戦していく形になると思います。特に激戦区の2列目に、誰が食い込んでいけるか。

矢部 これまでは、2列目の顔ぶれもほぼ決まっていたからね。

中村 それが今では、状況やコンディションに応じて、結構メンバーを入れ替えられるくらいに良い選手がたくさん出てきましたよね。

──例えば、鎌田大地選手のトップ下のポジションを、久保建英選手が脅かすようなこともありそうですか?

中村 そこは競争だと思いますけど、鎌田は6月シリーズまでのプレーで、森保ジャパンでの地位をある程度確立したかなと、個人的には見ています。

矢部 彼は誰々みたいって、過去の選手に当てはまらないタイプだよね。

中村 Jリーグ(サガン鳥栖)にいるときは、スルーパスを出すことに喜びを感じるタイプなのかなと見ていましたけど、海外(フランクフルト)に行って、数字を残さないと生き残れない立場を経験してから、得点に対する意欲、こだわりがグッと出てきましたよね。相手の嫌がる立ち位置でボールを受けて、周りとうまく連携しながらアシストもできればゴールもできる。象徴的だったのが、3月の韓国戦(25日/親善試合)のゴール。以前ならパスを出していたような場面で、周りのランニングをおとりに使って最後は自分で決めましたから。

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著者プロフィール

1967年、京都府生まれ。法政大学を卒業後、ファッション誌の編集者を経て、『サッカーダイジェスト』編集部へ。その後、94年創刊の『ワールドサッカーダイジェスト』の立ち上げメンバーとなり、2000年から約10年にわたって同誌の編集長を務める。『サッカーダイジェスト』、NBA専門誌『ダンクシュート』の編集長などを歴任し、17年に独立。現在はサッカーを中心にスポーツライター/編集者として活動中だ。

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