宮本恒靖、あの“アブダビの夜”を語る W杯最終予選の記憶と後輩たちへのエール

二宮寿朗

かつてキャプテンとして日本代表をけん引した宮本恒靖さん。ドイツW杯最終予選の思い出から、現在の代表チームについて語ってもらった 【DAZN】

 先日、スポーツ専門動画配信サービスのDAZNがアジアサッカー連盟(AFC)と2028年までの放映権契約を結んだことを発表。9月からスタートするカタールワールドカップ(W杯)・アジア最終予選も全試合配信することが決まった。日本代表のアウェイマッチは独占配信となる。

 DAZN新CMのナレーションを担当したのが、02年の日韓大会、06年のドイツ大会と2度、W杯に出場し、アジア最終予選でもキャプテンとしてチームをけん引した宮本恒靖さん。最終予選の思い出と、日本代表に対する期待をうかがった。
 

最終予選ならではの重さ…ヒリヒリと

2005年のドイツW杯最終予選、日本は初戦の北朝鮮戦で劇的勝利。その後も最終予選ならではの厳しい戦いが続いた 【写真:築田純/アフロスポーツ】

――もう16年前になりますが、今振り返ってもドイツW杯アジア最終予選に対する注目度は「ジョホールバルの歓喜」以来とあってかなり高かったと思います。当時、どのような思いで臨んだのでしょうか?

 初めてアジア予選を突破してフランスW杯に出て、そして自国開催があって、その次ですよね。(W杯に)出るのは普通だよねっていう空気、そして代表の試合イコール、レベルの高いものを見せてくれるよねっていう空気がスタジアムにはありました。そこに応えることにプラス、結果を伴う。その繰り返しだなとは思っていました。日本サッカーが成長曲線を描いている最中に(アジア最終予選が)あったと思うので、自分たちはエンターテイナーとしてどれだけのものをパフォーマンスとして出せるのか。そんな思いでしたね。

――初戦のホーム、北朝鮮戦は後半アディショナルタイムに大黒将志選手が決勝ゴールを決めて何とか勝ち点3をもぎ取って、続くアウェイのイラン戦は競り負けて……。ヒリヒリする1点差勝負が多かったように思います。

 日本が少しずつアジアのなかで強くなっていって、ターゲットとされていく時代。W杯に行きたいという各国の強い気持ちもあるので一筋縄ではいかないですし、チーム力に差があったとしても反映されないのがサッカー。ましてや最終予選の舞台ですからね。

 点を奪いにいくと逆にカウンターの怖さもあって、そのリスクをなかなか負えないというのが最終予選だと思うんです。例えば本大会の決勝トーナメント1回戦とは(戦い方も)違う。最終予選ならではの重さがあるし、ヒリヒリしたものはありました。

――スタジアムの雰囲気はどう感じていました?

(第2戦の)イランでのアウェイ戦は約12万人、それもほとんど男性が集まって異様な雰囲気の中で試合をしたことは強く記憶に残っていますし、一方で日本に戻ってくるとサポーターがホームアドバンテージの空気を出してくれました。(ホーム会場となった)埼玉スタジアムはいつも超満員で、ありがたかったなって思っています。
 

思い出す、ミーティング呼び掛けた光景を

“アブダビの夜”を経て、一致団結した日本はアウェイでバーレーンに勝利。W杯出場に大きく近づいた 【写真:ロイター/アフロ】

――宮本さんに以前、話をうかがった際、ターニングポイントになったのが“アブダビの夜”だった、と。第4戦のアウェイ、バーレーン戦の前にキリンカップで2連敗し、合宿地のアブダビに向かいました。ここでも調子が上がっていかない現実がありました。

 チームの状況は本当に良くなかった。コンディションにバラつきがあって、戦術的に少し統一されていないところもありました。アブダビ合宿に入る前のキリンカップの内容も悪く、どうなっていくんだろうかという不安はチームのなかに間違いなくありましたし、練習が始まってみてもやっぱりそれがピッチに出ていた。紅白戦をやってもいいところがまったくない。それでもバーレーンに勝たなきゃいけない。キャプテンとして、何が一番の解決策なのかなって毎日考えていました。

――アブダビで朝に散歩していたときに、三浦淳寛選手の言葉を聞いて「その話をみんなの前で話してほしい」とお願いした、と。

 自分のなかで頭でっかちになっていたところがありました。戦術にしても、コンビネーション、試合の進め方にしても。そこで毎朝散歩していたメンバーのアツさんから「W杯に行きたいからね」と、サッカー人としての純粋な気持ちを聞いたときに、これってすごく大事だなと思ったんです。みんなに共有できるもの、共感できるものであれば、いい方向に働くんじゃないかなと思ったのでその日の夜に(話し合いの場を)設定したんです。

――試合の3日前に選手だけでミーティングを開いた“アブダビの夜”。23時くらいからだったそうですね。

(日が長い)中東だったので練習時間も遅かったですし、夕食を終えてどのタイミングでやるかと言ったらその時間しかなくて。「ちょっと遅いけど、みんな集まってほしい」と伝えて。今も思い出しますね。食事会場で「そこでやるから来て」と呼び掛けた光景を。

――三浦さんが「俺はW杯に出たいんだ。これだけのメンバーがそろっているチームが出られないはずがない」と熱く語ったと聞いています。

(ミーティングの)最初に「朝に聞かせてもらった言葉をみんなに伝えてほしい」とアツさんにお願いして、そうしたら熱い言葉を伝えてくれて。そこで空気が変わりました。人の話を聞いて心が動くときって、目線がそこに集まったりとか、顔が上がったりとか、あるじゃないですか。

――翌日の練習から早速、その効果が表れるわけですね。

(バーレーンに)移動してからの練習だったんですけど、紅白戦にしても全然違う内容でした。W杯に行きたいという純粋なモチベーションがピッチに表れていました。コンビネーションも生まれるし、ゴールに向かうし、守れるし、そういうところがすごくクリアになりましたね。

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著者プロフィール

1972年、愛媛県生まれ。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社し、格闘技 、ラグビー、ボクシング、サッカーなどを担当。退社後、文藝春秋「Number」の編集者を経て独立。 様々な現場取材で培った観察眼と対象に迫る確かな筆致には定評がある。著書に「 松田直樹を忘れない」(三栄書房)、「中村俊輔 サッカー覚書」(文藝春秋、共著)「 鉄人の思考法〜1980年生まれ、戦い続けるアスリート」(集英社)など。スポーツサイト「SPOAL(スポール)」編集長。

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