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石川真佑が振り返る、春高の記憶
残る悔い「金蘭と戦って終わりたかった」

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下北沢成徳のエースとして活躍した石川真佑(写真中央)が振り返る、春高の記憶とは
下北沢成徳のエースとして活躍した石川真佑(写真中央)が振り返る、春高の記憶とは【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 決して大げさではなく、あの1本、を何度も何度も思い出す。


 2019年春高バレー準決勝。国体、インターハイを制し最後に春高で優勝し、三冠を狙う下北沢成徳に対するは、東九州龍谷。万全の対策を練り、それまで強みとしてきたスピードだけでなく高いトスも打ち切る。変貌を遂げた東九州龍谷に先行される苦しい展開のまま、迎えた最終セット。自らスパイクを決め、11-13と2点差に迫った場面で石川真佑にサーブ順が巡ってくる。相手の優位は変わらない。だが、逆転を信じて打ったサーブはネットを越えず痛恨のサーブミス。


「いろんなことがあったけれど、最後の春高で思い出すのはいつもあのサーブ。もう1回やり直させてほしい、って今でも思うんです」


 1年時からレギュラーとして出場した最初の春高を制するも、三連覇を狙った2年時は3位。最後の最後、三冠を目指し主将として挑んだ春高も同じく3位。3年間すべてセンターコートに立っているのだから、それだけでも誇るべき結果ではあるのだが、それでも消えない、あの1本、への悔恨。


 頂点に立つ喜びも、敗れる悔しさも知った3年間。石川が振り返る、春高の記憶――。

黒後らの姿に奮起「3年生のために頑張ろう」

――小学生からバレーボールを始めた石川選手が「春高バレー」を意識し始めたのはいつ頃からでしたか?


 中学3年生になってからです。それまでは「バレーボール選手になりたい」とか「日本一になりたい」と思うだけで、春高バレーというのは聞いたことがあるけれど、どれだけすごい大会かはよくわかりませんでした。正直、兄(祐希=パワーバレー・ミラノ)が出た時も見てはいたけれど、ただ見ていただけで、それほど特別な大会だとはわかっていなかったですね(笑)。

田中夕子

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など、女子アスリートの著書や、前橋育英高校野球部・荒井直樹監督の『当たり前の積み重ねが本物になる』では構成を担当

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