水町泰杜が振り返る、春高の記憶 「高校バレーの青春がすべて詰まってる」

田中夕子
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5日に開幕する春高バレー。鎮西のエースとして3年連続で出場した水町泰杜が振り返る、春高の記憶とは 【写真は共同】

 あれから1年――。

 春高バレー男子準々決勝、鎮西対駿台学園。わずか数時間前に3回戦を終えたばかりの両校が、ベスト4、センターコートを懸けてぶつかり合う。その中で誰よりも多くのボールを打ち続けたのは、黄色いユニフォームの3番を背負った水町泰杜だった。

 1年時からエースとして活躍、世代の顔として中心であり続けた水町を封じようとブロックは常に3枚。それでも、そんなことはわかっているとばかりにトスを呼び、必死で跳んで渾身の力を込めて打つ。

 最後の1本が駿台学園のブロックに阻まれたゲームセットの笛が鳴り響く次の瞬間、水町は涙し、その姿を会場から沸き起こったあたたかな拍手が包み込む。

 春高を語る上で欠かせないエースが水町だった。そう話を向けると、当の本人は少し恥ずかしそうに笑う。
「結果としては1年で優勝させてもらったけど、(現在所属する早稲田大で4連覇を飾った)インカレで4年生がいたから勝てたように、あの時も3年生がいたから勝てたんです。実際3年生がいなくなってからは勝てなかったわけだから、自分たちの代で日本一を取れなかったのは悔しいし、自分たちの代で勝ちたかった。だから、何も成し遂げてはいないと思うんです」

 頂点に立つ喜びも、敗れる悔しさも知った3年間。水町が振り返る、春高の記憶――。

正直、終わったと……ハプニングで始まった1年目

――幼い頃から野球を始めた子どもが甲子園を目指すように、小学生からバレーボールを始めた水町選手にとって、春高はどんな大会でしたか?

 テレビで鎮西の試合を見ていたのですが、中学生の頃までは「今自分がやっているバレーと、コートの色が違うだけやん」というぐらいにしか思っていなかったんです。でも、いざ自分が鎮西に入って、1年生でその場に立ってみると全然違いました。これがオレンジコートか、って思いましたね。今まではこのコートをテレビ越しで見てきたけど、実際にその舞台に自分が今立っているのか、と思ったら感動したし、成長したな、と思いました。普通に考えれば、コートの床がオレンジだというだけかもしれないですけど、やっぱり高校の3年間、春高バレーに焦点を当ててやってきたので、特別感はありました。1年の時もインターハイで勝てたけれど、いや、春高勝たんと意味ないよね、という気持ちもあったし、高校バレーは春高で成り立っていると思っていました。

――1年生でインターハイ優勝。春高も優勝候補と言われていましたが、プレッシャーはありましたか?

 自分自身は周りがどう考えているかはどうでもいいと思っているので、プレッシャーはなかったです。結局はコートの6人でやるわけだし、周りがどう思っていようがやるのは自分。自分たちがどうやっていくかで結果も変わってくるだけなのでプレッシャーは感じていませんでしたが、3年生は最後の大会だしプレッシャーもあったと思います。
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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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