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ケガに悩まされたキャリアから指導者へ
立場変わっても挑戦し続ける金古聖司の今

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金古は鹿島で10シーズンを過ごしたが、振り返ればそのキャリアはケガとの戦いだった
金古は鹿島で10シーズンを過ごしたが、振り返ればそのキャリアはケガとの戦いだった【栗原正夫】

 東福岡高を卒業後、鹿島アントラーズ入りした金古聖司は本来、99年4月にナイジェリアで行われたワールドユースに出場する予定だった。しかし、その2カ月前のブルキナファソでの合宿中に、左ひざ十字じん帯の断裂、半月板の損傷という大ケガを負ってしまい、大会出場はもちろん、プロ初年度のほとんどを棒に振ることになった。


 99年のワールドユースといえば、金古の東福岡時代の1つ先輩の本山雅志(元鹿島など)をはじめ、小野伸二(現FC琉球)、高原直泰(現沖縄SV)、稲本潤一(現SC相模原)、小笠原満男(元鹿島など)、中田浩二(元鹿島など)らいわゆる黄金世代と呼ばれた選手たちが躍動し、準優勝という快挙を成し遂げた大会である。


「自分も出るつもりでいたんですけどね。U-17のときは、アジア予選で負けて世界大会出場を逃していましたし、U-20でやっと出られると思ったらケガをしてしまい……(苦笑)。確か高校の卒業式も入院中で出られなくて、ワールドユースも病院の病室で見ていました。正直、試合を見るのは気持ち的にしんどかったのですが、仲間が活躍している姿は(リハビリの)励みにもなりました。大会後にトルシエ(監督)がお見舞いに来てくれて『この準優勝はケガで出場できなかった金古と市川(大祐)に捧げる』と言ってくれたこともうれしかったですし、よく覚えています」

 その後、金古は鹿島で10シーズンを過ごしたが、振り返ればそのキャリアはケガとの戦いだった。


 04年こそ前年まで長く鹿島の守備を支えていた元日本代表DF秋田豊が移籍したことで、センターバックのレギュラーを獲得し、Jリーグではキャリアハイの22試合に出場した。だが、再びケガに見舞われると翌シーズン以降は岩政大樹らの台頭もあって、出場機会を求め神戸、福岡、名古屋と期限付き移籍を繰り返した。


「調子がよくなり体がキレてくるとケガをするということの繰り返しでしたね。ひざの前十字じん帯は左2回、右1回切っていますし、第5中足骨も2回やって頬骨を骨折したことも。Jリーグ時代はケガのないシーズンはなかったですし、正直『なんでオレばっかり』と思ったこともあります。ただ、ケガって言い訳な気がして、ケガする選手はやっぱりそこまでなのかなと。鹿島には入ったときに『センターバックは10年安泰』なんて言ってもらいながら、お世話になりっぱなしで感謝しかないです。途中、レンタルで離れたこともありましたが、普通のクラブならもっと早くにクビを切られていてもおかしくなかったですから」

出場機会を求め、晩年は東南アジアの国々を渡り歩いた

金古に海外に行くキッカケを与えてくれたのが奥さんの一言だった
金古に海外に行くキッカケを与えてくれたのが奥さんの一言だった【(C)J.LEAGUE】

 08年は鹿島に復帰したものの、出場機会はなく、チームがリーグ連覇を遂げた裏で、金古の契約は満了となった。


 28歳とはいえ、ケガが多かっただけに移籍先を探すのは難航した。だが、金古にはやり切った感はなく、このままでは終われない気持ちが強かった。そんなとき、金古に海外に行くキッカケを与えてくれたのが、ケガで思うような選手生活を送れないときもずっと支えてくれていた奥さんの一言だった。

栗原正夫

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

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