連載:キズナ〜選手と大切な人との物語〜

日本のバスケを盛り上げる富樫親子 言葉はなくとも通じ合う思い

小永吉陽子
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後編・父の考えを超えていた勇樹のゲームメイク

地元で開催された全国中学校大会で優勝を果たした(下段左:富樫コーチ、右から二番目:富樫勇樹) 【写真提供:富樫家】

 富樫親子は2006年からの3年間、新発田市立本丸中学校(新潟)でコーチと選手として、3年間をともにした。入学してすぐに中心選手になった息子を見て富樫コーチは「ゲーム中、人と見ているところが違うので驚くような展開が生まれる。この感性は教えて身につくものではありません。勇樹にはこれといって何かを教えたことがないんですよ」と当時から語っていたほどだ。

 緩急を織り交ぜたゲームメイクで相手を翻弄(ほんろう)し、ドンピシャで鋭いアシストを繰り出す。チームメイトに得点を取らせたかと思えば、勝負所は多彩な技で決めてみせる。本丸中は攻防に隙がなく、連携が光るチームだったが、軸となっていたのは、司令塔である勇樹のゲームコントロールだ。「ポイントガードとしてコーチの想像を超えていた」という息子のプレーを見て、父は指導者として新たな気づきを得ることになる。

「この頃になると、“やらせる”指導ではなくなっていましたが、さらに考えが変わりました。勇樹たちの代は『日本一になる』といって入部してくれた選手ばかりで、率先して練習する意識の高さがあったので、教えるけど教えすぎず、自主性に任せようと思ったんです。選手の自主性を尊重すると可能性を伸ばすことができるのだと、選手たちに教えられました」

 2008年、本丸中は大本命の中で地元の新潟全中を優勝で飾った。田渡凌(現・広島ドラゴンフライズ)を擁した京北中学(現:東洋大学京北中学校、東京)を74-68で倒した決勝は名勝負にあげられるほど熱き戦いだった。激戦を制し、富樫コーチは「本命にあげられていたのでホッとしました。この選手たちと日本一になれて本当にうれしい」と感想を述べ、地元のラジオ局からインタビューを受けた息子は、誰もが気になる「お父さんは普段どんな人?」という質問に対してこう答えていた。

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著者プロフィール

スポーツライター。『月刊バスケットボール』『HOOP』編集部を経て、2002年よりフリーランスの記者となる。日本代表・トップリーグ・高校生・中学生などオールジャンルにわたってバスケットボールの現場を駆け回り、取材、執筆、本作りまでを手掛ける。

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