我那覇和樹を襲った冤罪事件から13年 いまも変わらぬ川崎フロンターレへの思い
サッカー人生を変えたドーピング冤罪事件。これまであまり語ってこなかった当時の心境について話してくれた 【(C)J.LEAGUE】
リーグ戦を2位で終えた川崎フロンターレのFW陣をエースのジュニーニョとともに引っ張り、シーズン18ゴール。これはサンフレッチェ広島の佐藤寿人(当時)と並ぶ日本人最多の得点数だった。ドイツ・ワールドカップ後に発足した日本代表“オシムジャパン”でも、初陣となった旧国立競技場でのトリニダード・トバゴ戦にスタメン出場するなど6試合で3ゴールを挙げていた。
状況が一変したのは、翌年4月。事件は、J1第7節の浦和レッズ戦で川崎が前年度王者を相手に我那覇の先制ゴールなどで2-1と勝利した数日後に起きた。我那覇が疲労回復のために受けた静脈注射(点滴)が、スポーツ紙の誤報から誤解を招き、ドーピング(禁止薬物使用)規定違反とみなされてしまったのだ。
日頃からドーピングに気をつけていた我那覇にとっては寝耳に水のことだった。だが、Jリーグのずさんな調査に翻弄され、裁定はスイスにあるスポーツ仲裁裁判所(CAS))まで持ち込まれることに。最終的には08年5月にまったくの冤罪(えんざい)であったことが認められたものの、多額の費用と時間を費やすなど我那覇は物質的にも精神的にも多くの負担を強いられることになった。
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冤罪について多くを語ってこなかった…
08年限りで川崎を退団。09年から2年間はJ1のヴィッセル神戸でプレーしたが、結局リーグ戦でのゴールはなかった。はた目には、選手として最も脂が乗っていた時期にドーピング違反という思いもよらぬ濡れ衣を着せられ、サッカー人生を狂わされてしまったように思うが、あれから約13年が経過したいま、我那覇はどんな思いを抱いているのだろうか。
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