フットボールの祖国に愛された吉田麻也 その人柄とセインツでの功績を振り返る

エルゴラッソ

7月1日に8年間所属したサウサンプトンと契約満了を迎えた吉田麻也。プレミアリーグで日本人最多となる154試合に出場した。 【写真:ロイター/アフロ】

 1人の偉大なフットボーラーが、また、イングランドの地から去ることになった。日本代表DF吉田麻也だ。2012年にイギリス全土で行われたロンドンオリンピックで、日本代表をベスト4に導くなど最終ラインの要として活躍した吉田は、同年の夏、24歳でサウサンプトンに加入した。あれからサンプドリアへローン移籍するまでのおよそ7年半。その間、吉田はレギュラーを外れる時期もあったが、常に主力で有り続けた。それは決して簡単なことではない。

サウサンプトンで出場を続ける難しさ

 そもそも日本人は、イングランドの選手と比べると体格面に劣る。吉田は上背のあるほうだが、プレミアのフィジカル自慢達と比較すると、やはりビハインドを背負っている。CBとして日本人がプレミアで活躍するのは簡単なことではない。実際、肉体作りに関して試行錯誤も多かったようだ。

 加えてサウサンプトンは、若い選手を育成し、高額でビッグクラブに売却することを得意とするクラブだ。現在リバプールに所属するセネガル代表FWサディオ・マネや、オランダ代表DFフィルジル・ファンダイクなど、挙げ出せばきりがないほどだ。シーズンごとに主力が引き抜かれ、新たに才能豊かな若手が加わり、大幅にメンバーが変わる。それどころか、監督すら毎年のように変わっている。実際にプレーした7年半で吉田は、7人もの監督の下でプレーをした。

現在リバプールに所属するセネガル代表FWサディオ・マネ(写真左)や、オランダ代表DFフィルジル・ファンダイクも、かつては吉田と共にサウサンプトンでプレーをした 【写真:ロイター/アフロ】

 選手が変われば機能する形が変わり、監督が変われば評価ポイントも変わる。つまり7年半同じチームにこそいたものの、常にチャレンジの連続だったはずだ。

 そんな難しい状況でも、プレミアリーグで日本人最多となる154試合に出場したのだ。サッカー界では、どうしても得点など攻撃面で目立つプレーばかりが注目されがちだが、日本人にとって簡単ではないCBというポジションで、かつ環境変化の多いサウサンプトンで長くサバイブした事実は、日本サッカー界において間違いなく大きな偉業なのである。

イタリアへローン移籍、そして退団へ…

 さてそんな偉大なDFリーダーの、サウサンプトンでの生活もとうとう終わりを告げることになる。吉田にとっては7人目の監督であるラルフ・ハーゼンヒュットルは、今季から、露骨な若手重視にシフトし、30歳を超えた日本人のベテランを戦力外とした。

 足りないプレーがあれば、努力と工夫で改善し、時には本職ではないサイドバックでも出場するなど、あらゆる手段を講じて監督の信頼を得てきた吉田だったが、さすがに自身の年齢を若返らせることはできない。

 結果、2020年1月の移籍市場で、イタリアのサンプドリアに半年間ローン移籍することになる。契約終了は2020年夏のため、このローン移籍は事実上の退団だった。

 とはいえ、吉田にとってサウサンプトンは長く過ごした土地だ。正式に退団する前に、関わった多くの人たちにあいさつなどはするつもりだったはずだ。

 しかしそんな中、2月頃から新型コロナウイルスの猛威が世界中を襲った。欧州サッカーの各リーグは中断を余儀なくされ、5〜6月に再開。結果、移動制限もある上に、イタリアでリーグ戦もあるため、イングランドに戻れないまま吉田はサウサンプトンとの契約終了を迎えることになる。

 こうして迎えた契約満了日の翌日の7月1日、吉田は、自身のTwitterを通じて英語で以下の内容を発信した。

「本日、サウサンプトンとの契約が公式に終了しました。一つ後悔していることがあるすれば、チームメイト、スタッフ、友人、そしてファンの皆さんへ、きちんと別れのあいさつができなかったことです。もちろん、別れもフットボールの一部。それでも『ともに歩んできた』ことは忘れません。いつか再会できることを楽しみしています。ありがとう」

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著者プロフィール

サッカー新聞エル・ゴラッソ。通称エルゴラ。国内外の最新サッカーニュースを日本代表の番記者、J1・J2全40クラブの番記者、海外在住記者が、独自の現地取材をもとに、いち早くお届けします。首都圏の駅売店およびコンビニエンスストア・関西地域の主要駅売店にて発売中。

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