吉田麻也、リーダーとしての自覚と覚悟 長谷部らの思いを引き継ぎ新チームへ

元川悦子

ラウンド16のベルギー戦を迎えるにあたり、吉田はやるべきことを明確に思い描いていた 【写真:ロイター/アフロ】

 下馬評では圧倒的劣勢が予想されていた、現地時間2日に行われたワールドカップ(W杯)ロシア大会のラウンド16、ベルギー戦。勝負のカギを握るのは、相手の絶対的エースFWロメル・ルカクをどう封じるかだった。

「昨年11月の失点シーンもそうだけれど、彼が長所を出せるボールをシンプルに入れられると苦しくなると思うので、そこにいく前の対応がすごく大事になってくる」と日本守備陣の大黒柱・吉田麻也は自身のやるべきことを明確に思い描いていた。

 実際、世界屈指のタレント軍団と敵地・ブルージュで17年11月14日に対戦した際、日本は4人の選手がいたにもかかわらず、ナセル・シャドリに中央突破を許して、あっさりとゴール前に折り返され、ルカクに決勝点を奪われた。吉田もシャドリの対応に忙殺され、世界屈伸の大型FWをがら空きにしてしまった。今回こそは絶対に同じミスは繰り返さない――。吉田はそう固く誓って、ロストフ・アリーナのピッチに立った。

史上初の8強入りをつかみかけたが……

乾の追加点で2−0、ベルギーを相手に史上初の8強入りをつかみかけた日本だったが…… 【写真:ロイター/アフロ】

 序盤から日本は高い集中力で規格外の男をつぶしにいった。吉田は昌子源と連係しながら、確実に体を寄せてルカクに自由を与えない。前半20分過ぎからは一方的に攻め込まれる苦境を余儀なくされたが、クロスを入れられるたびに、背番号22は一瞬早くコースに入ってピンチを阻止。2度3度とあった決定機を未然に防ぎ、何とか試合をスコアレスで折り返すことに成功する。この判断の速さと的確な対応力は、イングランド・プレミアリーグで培った経験の賜物(たまもの)だろう。

 迎えた後半、「ベルギーは立ち上がりがスローになる」という香川真司の分析通り、相手の出足が鈍い中、日本は後半3分に電光石火のカウンターから原口元気が待望の先制弾をゲット。この4分後には乾貴士が2点目を挙げ、日本は史上初の8強進出をつかみかけた。

 しかし西野朗監督が「乾の2点目でベルギーは『超』が付くくらいの本気モードになった」と語った通り、ここから彼らはスイッチを入れてくる。マルアヌ・フェライニとシャドリを投入し、体格差を利用してクロスを次々と蹴り込むようになる。こういう攻撃は吉田も想定していたはずだったが、徐々にチーム全体に綻(ほころ)びが生じ始める。

「2−0になってから無意識に受け身になってしまった。足元のボールが多くなってミスが増えて、自分たちのミスからCKを与えて守り切れなかったり、悪循環が続いた」と吉田もネガティブな流れを止められない。その結果が後半24分のヤン・ベルトンゲンのラッキーなヘッドによる1点目であり、エデン・アザールのクロスにフェライニが飛び込んだ後半29分の同点弾だった。

4試合で7失点、大半はリスタート絡みの失点

日本が4試合で喫した失点は7。その大半がリスタート絡みのものだった 【写真:ロイター/アフロ】

 日本は勝ちにいこうと、本田圭佑というジョーカーを投入し、終盤にはリスタートからチャンスを作った。が、その本田の左CKからわずか10秒足らずで、シャドリに3点目を奪われ、直後にタイムアップの笛が鳴り響いた。こんな結末を一体、誰が想像しただろうか。

「僕は『精神的な脆(もろ)さ』が出たんじゃないかと思います」と吉田は、日本の問題点をズバリ指摘した。

「日本は勝ち慣れていないし、まだまだ勝ち切る強さがないという思いが強かった。2006年のドイツW杯の時も、オーストラリアにリードして、そこから大逆転を食らった。今回も同じではないし、肉体的、フィジカル的、能力的な差はあったと思いますけれど、やっぱり精神的な弱さや脆さはあった。そこでチームを引っ張っていけなかった後悔はある。非常に心残りですね」と自分が日本の守備を担っている、と大会を通して言い続けてきた男は、敗戦の責任を痛感していた。

 この大一番での3失点のみならず、グループリーグを含めて、日本は4試合で合計7失点を喫している。しかも、その大半がリスタート絡みだ。そこに関しては最大限の注意を払ってきた吉田だったが、どうしても歯止めをかけられない。FIFA(国際サッカー連盟)ランキング61位のチームがこの状況では、8強入りは夢のまた夢だ。フィジカル的に見劣りする日本が、いかにして失点を減らしていくのか。われわれはロシアの大舞台で、あらためて重い課題を突き付けられた。

失点に直結するミスは激減、判断が明確に

自らが行くべきところ、引くべきところの判断が明確になり、失点に直結するミスも激減した 【写真:ロイター/アフロ】

 とはいえ、吉田自身のパフォーマンスは非常に安定していた。4年前の14年ブラジル大会では、初戦のコートジボワール戦でディディエ・ドログバが出てきた終盤にズルズルと引いてしまい、わずか2分間で2点をたたき込まれたが、今回はその時のような不安定さは一切見せなかった。その一挙手一投足には確固たる自信と風格が漂い、1ランク上のDFへとステップアップした印象が強く残った。

 振り返ってみれば、2011年のアジアカップで初キャップを飾ってからというものの、吉田は不用意なミスを犯すことが多いDFだった。それは所属クラブでもしばしば見られたが、サウサンプトンでの17−18シーズンでは、失点に直結するようなミスが激減。自分が行くべきところ、引くべきところの判断が明確にできるようになった。

 こうした積み重ねが、今大会のラダメル・ファルカオ、エムバイエ・ニアン、ロベルト・レバンドフスキ、今回のルカクといったエースつぶしにつながったのは間違いない。昌子との息の合ったコンビネーションとマークの受け渡し、チャレンジ&カバーもW杯の大舞台でしっかりと機能した。

 ゆえに、リスタートからの数多くの失点が大いに悔やまれた。2−0から3点を奪われ、試合をひっくり返されたベルギー戦は最たるものだろう。

「昨日は一晩中、『もっとやれたんじゃないか』という思いが頭の中を駆け巡っていました」と吉田は敗戦から一夜明けても、悔恨の念を拭えていない様子だった。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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