コロナ禍で自問自答した「自分の価値」 日比野菜緒を支えたコーチやファンの存在

内田暁

クラウドファンディングによる賞金大会「BEAT COVID-19 OPEN」に参加する日比野 【スポーツナビ】

「今回のクラウドファンディングで、サポーター(応援購入者)の数字がどんどん増えていって。どれだけの人が、わたしたちの試合を楽しみにしてくださっているかを感じられたのは嬉しかったです」

「BEAT COVID-19 OPEN」の開幕が、一週間後に迫った6月末――。

 日比野菜緒は、日に日に増えていく大会クラウドファンディングのサポーターの数を見て、ファンの存在をリアルに感じ取り、喜びを噛(か)み締めていたという。

 はたして自分は、社会の役に立っているのか? アスリートの価値としてよく言われる「人々に希望や勇気を与える」なんてこと、自分には出来ているのだろうか……?

 それは、新型コロナウイルスの影響によりテニス界が停止した時、彼女が自らに幾度もただした問いである。その自問への一つの解が、モニター越しに数字として映し出されていた。

心のもやを払ったコーチからの言葉

日比野「ファンの方と一緒に作った大会。より良いプレーをしたい」 【写真:ロイター/アフロ】

 世界のテニスツアーが当面中断されるという報を、彼女はアメリカ・カリフォルニア州で知った。同地で開催される「BNPパリバオープン」を皮切りに、約1カ月に及ぶ北米遠征に乗り込んだ矢先のことである。

 ただ、その決定を知り一旦帰国した時は、多少の安堵(あんど)も感じていたという。あまりに多くの情報が交錯し、今後の予定も立てられぬストレスからは、まずは開放されたからだ。

 だが、冬の名残と春の気配が入り交じる日本に戻り、本来はいるはずのなかった練習コートでボールを打つと、言いようのない不安や葛藤が胸をふさぎはじめる。

 ツアー再開の予定は、日を追うごとに遅れていった。

 テレビをつければ「自粛」「不要不急」などの言葉が飛び交う。

「試合ができずにただ練習しているだけなら、それこそ趣味の延長。だったら、やらなくてもいいんじゃないか……」

 自分の“仕事”には意味があるのか? 不要不急と、そうでないものの境界線とは何か――?

 この時期、多くの人々が直面したプリミティブな疑念に、彼女も絡みとられていく。その苛立ちをコーチたちに、真っすぐにぶつけたこともあった。

 それら、悲観に陥りかねない思考に光を与えてくれたのは、一つは、同じ練習拠点で汗を流す選手や指導者たちの存在だ。同じ状況下に置かれながらも、前向きに技や体力を磨く仲間の姿が刺激になる。

「この休みが明けた時に、誰よりうまくなろう」

 コーチの竹内映二氏からかけられた言葉も、心の靄(もや)を払ってくれた。

 もう一つ、日比野の心に火をともしたのが、ファンから届けられるダイレクトな声である。インスタライブなどを介してファンと触れたことで、その存在をリアルに感じることができた。

「娯楽と呼ばれていたものが、どれだけ私たちの生活を支えていたか」と言われ、腑(ふ)に落ちたこともある。

「これまでは、単に自分の好きなことの延長が仕事になっただけのようにも思えていたんです。でも実はわたしが見えていなかったところで、人のためになっていたんだなって。日本の大会だと、どうしてもお客さんが少なかったりテレビ中継もなかったりで、見てもらえてないんじゃないかと思っていたんです。でも今の時代は、ソーシャルメディアなどを介して見てもらえていることにも気づきました」

 自分のことを思っているくれる人たちが、身の回りに、そして直接的には会ったことのないファンにもたくさんいる――。

 そのことに気付き始めたタイミングで、身近な人たちが立ち上げ、ファンによって育てられる大会が産声を上げた。

「ファンの方と一緒に作った大会。より良いプレーをしたい」

 思いは一層強まり、大会が近づくにつれ、気持ちと身体が一つの方向を指しはじめていた。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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