連載:J1・J2全40クラブの番記者が教える「イチオシ選手」

横浜FCのアイコンが初めてJ1の舞台へ 佐藤謙介は「感謝の気持ち」を胸に

須賀大輔

長く横浜FCを支えてきた佐藤だが、若手の台頭もあり、いまや絶対的なレギュラーとは言えない。それでもファンは、J1のピッチでその雄姿が見られる日を心待ちにしている 【(C)J.LEAGUE】

 横浜FC一筋で在籍10年目。31歳となった佐藤謙介が、ついにJ1の舞台にたどり着いた。開幕戦は出場機会がなく、公式戦再開の目途が立っていない現状ではいつJ1デビューを果たせるか分からないが、“ハマのバンディエラ”は国内最高峰の戦場でプレーする日が来るのを待っている。これまで自分を支えてくれた人たちへの「感謝の気持ち」を抱きながら。

昇格に突き進むチームでひとり苦悩

 いまの横浜FCには南雄太に伊野波雅彦、松井大輔に中村俊輔、そして三浦知良と、日本サッカー史に名を刻んできた選手が多くいる。しかし、「チームの顔は?」と聞かれれば迷わずに即答する。「佐藤謙介」だと。

 横浜FC一筋のボランチは2011年に加入以来、酸いも甘いも知るクラブのアイコンとしてプレー。チームがうまくいかない時期も、思うように勝てないシーズンも、残酷な結末でJ1昇格の夢が断たれた瞬間も、そのすべてを経験してきた。

 そして迎えた19年シーズンはプロ入り後で最も高い壁に直面することとなる。5月に下平隆宏氏が監督に就任以降、7連勝や18戦負けなしを記録するなど上昇気流に乗り、J1昇格へと突き進んでいくチームにあって背番号8は苦悩。夏場には佐藤の名前がメンバー表から消えた。

「それまでは自分中心でやらせてもらって、自分自身が戦術というか、自分のやりたいことに周りが合わせてくれることが多かった。でも、シモさん(下平監督)にも言われたけど、それでは限界があることを自分でもどこかで気付いていた。ただ、そこを理解しながらも、自分の良さを出さないといけないところでの葛藤がすごくあった」

“変化”を求める指揮官の思いを頭では理解しながらも、心では消化しきれず日々もがいていた。

千載一遇のチャンスをモノにして

 そこで支えになったのは、いつもそばに寄り添ってくれた家族や常に声を掛けてくれたチームメートとスタッフの存在であった。

「去年の4月に子どもが生まれて、奥さんもいて、家族の存在はもちろんデカかった。これが独身だったら、ふてくされていたかもしれない。でも、本当に家族のために頑張らないといけない、踏ん張らないといけないという思いがあった。出られないときも家族はいつも通り接してくれたので、本当にありがたかった。それにチームメートやスタッフも気に掛けてくれて。苦しんでいたが、腐らずにやれた」

「なんとか見返してやろう」とひたむきに練習に取り組んでいた佐藤に千載一遇のチャンスが巡ってきたのは、J1昇格争いが佳境に突入した10月末のJ2第38節・東京ヴェルディ戦。この試合でスタメンに抜てきされると、そこから最終戦まで5試合連続で先発フル出場を果たし、13年ぶりのJ1昇格に大きく貢献する。

 最終節・愛媛FC戦の試合直後には「(J1昇格の)まだ実感はない」と話していたが、年が明け改めて当時の気持ちを問うと「素直にうれしかった」と笑った。

自分がJ1でどこまでやれるか楽しみ

 そしてプロ10年目にして初めてJ1を戦うこととなる今季。「長かった部分もあるし、あっという間だった部分もある」と語る佐藤は、9年間を経て、ようやくたどり着いた国内最高峰の舞台での戦いに感謝の気持ちを持って臨む。

「大学の頃はそこまで有名な選手だったわけではなく、大学選抜にも入っていなかったなかで、当時のスカウトの人がわざわざ足を運んでくれて、拾ってもらったようなもんですからね。それに対して何ひとつ恩返しをできてなくて。去年やっとJ1に上がれて、そういう人たちからも連絡をもらって『良かったな』と言ってもらえたけど、まだまだ恩返しはできていないと思っている。

 いままでも(チームに残るか出ていくか)いろんな決断の場面があったけど、やっぱり(横浜FCで)何かひとつ残してからという気持ちがどこかにはあった。いまのチームはJ1定着というところを目指してやっているので、まずはそれを最低限達成したいという思いがありますね」

 若手の台頭もあり、2月に行なわれたYBCルヴァンカップのサンフレッチェ広島戦とリーグ開幕戦のヴィッセル神戸戦では、いずれもベンチに入りながらも出場機会はなし。今季はまだ公式戦のピッチに立っていない。さらに新型コロナウイルスの影響で公式戦が延期となり今後の状況は不透明。サッカーの神様は目の前に“J1デビュー”をぶら下げながら、“ハマのバンディエラ”にまたしても少しの試練を与える。

 待望の瞬間がすぐそこに迫りながらも“足踏み”が続き、それがいつになるかは分からない。もしかしたら、昨季のように苦しい時間が訪れるかもしれない。それでも、いまの佐藤なら大丈夫。昨季の1年間で「自分の中では選手としてひとつレベルアップできた」と自負する男は、常に自分自身と向き合いながらチームのためにプレーできるからだ。

「初めてのJ1で、このチームで10年目。いろんな感情はあるけど、何よりも自分がJ1の舞台でどこまでやれるかが楽しみ」

 HAMABLUEの背番号8がJ1のピッチに足を踏み入れる瞬間が、いまから待ち遠しくて仕方ない。

(企画構成:YOJI-GEN)
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著者プロフィール

1991年、埼玉県出身。学生時代からサッカー専門新聞『EL GOLAZO』でアルバイトをはじめ、2016年から記者活動を開始。その年の4月から現在まで『EL GOLAZO』の番記者として柏レイソルを担当。19年から横浜FCとの兼任となり、今季も2クラブを担当している。

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