連載:未来に輝け! ニッポンのアスリートたち
パラ陸上・兎澤朋美を支える恩師との邂逅「日本とドイツで遠く離れていても…」
走り幅跳びで東京パラ出場内定
パラ陸上界のホープ・兎澤朋美。11月の世界選手権、T63クラス走り幅跳びで銅メダルを獲得し、東京パラ出場内定を勝ち取った 【写真は共同】
理系の大学への進路を目指していた高校3年の秋、日本体育大・陸上競技部にパラアスリートブロックが創設。パラアスリートへの奨学金制度が新たに始まるというニュースを聞き、思い切って同大への進学に舵を切った。180度の進路変更だった。
「中学で初めて義足でのランニングを経験して以来、もっと競技としてきちんと取り組みたい、という気持ちはありました。でも、指導者もいない、競技用義足もどんなものを使って、どんな調整をしたらいいかという専門的なことが分からない。それで、競技として本格的に取り組むことができずにいたのです。それなのに、日体大に飛び込む気持ちになったのは、“東京パラリンピック開催が決まっていたから”でした」
2017年に大学に進学し、陸上競技をゼロから学んだ。そして、19年11月、アラブ首長国連邦・ドバイで開催されたパラ陸上の世界選手権に出場。兎澤は、T63クラス(大腿義足など)走り幅跳びで銅メダルを獲得し、東京パラリンピックの出場内定を決めた。
小学5年生で人生が一変
小学5年生のとき、骨肉腫により左脚大腿部から切断。深刻な話でも明るく話す姿が印象的だ 【スポーツナビ】
「おままごとよりは泥んこ遊び、木登りが大好きでした」
スイミングに通い、両親の趣味というゴルフを習い、チアリーディングのレッスンも受ける。活発な少女時代を過ごしていた。
その生活が一変したのは、小学5年生の時。左脚に腫瘍が見つかった。骨肉腫だった。抗がん剤で腫瘍を小さくする治療を受け、年明けに左脚大腿部から切断した。
人工膝を装着して脚を残す、という選択肢もあった。しかし、成長すれば脚の長さが左右違ってしまうことになりかねない。一方、切断しても、スポーツ用義足をつければスポーツをすることもできるという。残すか、切断か。まさに苦渋の選択だった。
「手術の直前まで悩んでいいんだよ、と主治医の先生が言ってくれて。最後の最後に、“切断します”と伝えて手術を受けました」
中学2年生の時に、担当の義肢装具士から義足で走るランニングクラブを紹介された。初めてランニングに適したスポーツ用の義足を借りて走る。
「手術してからずっと、歩く速度以上のスピードを出すことはありませんでした。風をきって走ったことは、やっぱり大きな感動でした」
その後は、月に1回、ランニングクラブの練習会に参加。国内の陸上競技大会にも出場するが、月1の練習ペースは変わらない。
「競技というより、遊びの延長のような感じでした」