パラ陸上・兎澤朋美を支える恩師との邂逅「日本とドイツで遠く離れていても…」

宮崎恵理
 2020年東京大会そして世界に向けて、それぞれの地元から羽ばたくアスリートを紹介する連載企画「未来に輝け! ニッポンのアスリートたち」。第50回は茨城県出身、パラ陸上の兎澤朋美(とざわ・ともみ)を紹介する。

走り幅跳びで東京パラ出場内定

パラ陸上界のホープ・兎澤朋美。11月の世界選手権、T63クラス走り幅跳びで銅メダルを獲得し、東京パラ出場内定を勝ち取った 【写真は共同】

 東京パラリンピック開催が決まったことをきっかけにして、本格的に競技に取り組んできた、という若手選手は多い。陸上競技で急成長している、日本体育大3年の兎澤朋美も、その一人だ。

 理系の大学への進路を目指していた高校3年の秋、日本体育大・陸上競技部にパラアスリートブロックが創設。パラアスリートへの奨学金制度が新たに始まるというニュースを聞き、思い切って同大への進学に舵を切った。180度の進路変更だった。

「中学で初めて義足でのランニングを経験して以来、もっと競技としてきちんと取り組みたい、という気持ちはありました。でも、指導者もいない、競技用義足もどんなものを使って、どんな調整をしたらいいかという専門的なことが分からない。それで、競技として本格的に取り組むことができずにいたのです。それなのに、日体大に飛び込む気持ちになったのは、“東京パラリンピック開催が決まっていたから”でした」

 2017年に大学に進学し、陸上競技をゼロから学んだ。そして、19年11月、アラブ首長国連邦・ドバイで開催されたパラ陸上の世界選手権に出場。兎澤は、T63クラス(大腿義足など)走り幅跳びで銅メダルを獲得し、東京パラリンピックの出場内定を決めた。

小学5年生で人生が一変

小学5年生のとき、骨肉腫により左脚大腿部から切断。深刻な話でも明るく話す姿が印象的だ 【スポーツナビ】

 1999年、茨城県つくば市に生まれた兎澤は、幼少期からおてんばな少女だったという。つくば市は学園都市として有名だが、自宅周辺は田んぼだらけ。

「おままごとよりは泥んこ遊び、木登りが大好きでした」

 スイミングに通い、両親の趣味というゴルフを習い、チアリーディングのレッスンも受ける。活発な少女時代を過ごしていた。

 その生活が一変したのは、小学5年生の時。左脚に腫瘍が見つかった。骨肉腫だった。抗がん剤で腫瘍を小さくする治療を受け、年明けに左脚大腿部から切断した。

 人工膝を装着して脚を残す、という選択肢もあった。しかし、成長すれば脚の長さが左右違ってしまうことになりかねない。一方、切断しても、スポーツ用義足をつければスポーツをすることもできるという。残すか、切断か。まさに苦渋の選択だった。

「手術の直前まで悩んでいいんだよ、と主治医の先生が言ってくれて。最後の最後に、“切断します”と伝えて手術を受けました」

 中学2年生の時に、担当の義肢装具士から義足で走るランニングクラブを紹介された。初めてランニングに適したスポーツ用の義足を借りて走る。

「手術してからずっと、歩く速度以上のスピードを出すことはありませんでした。風をきって走ったことは、やっぱり大きな感動でした」

 その後は、月に1回、ランニングクラブの練習会に参加。国内の陸上競技大会にも出場するが、月1の練習ペースは変わらない。

「競技というより、遊びの延長のような感じでした」

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著者プロフィール

東京生まれ。マリンスポーツ専門誌を発行する出版社で、ウインドサーフィン専門誌の編集部勤務を経て、フリーランスライターに。雑誌・書籍などの編集・執筆にたずさわる。得意分野はバレーボール(インドア、ビーチとも)、スキー(特にフリースタイル系)、フィットネス、健康関連。また、パラリンピックなどの障害者スポーツでも取材活動中。日本スポーツプレス協会会員、国際スポーツプレス協会会員。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』。

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