東京2020 THE WAY to 2020

家族のサポートを力に変えて
小倉理恵はパラバド初代女王を目指す

 2020年東京大会そして世界に向けて、それぞれの地元から羽ばたくアスリートを紹介する連載企画「未来に輝け! ニッポンのアスリートたち」。第48回は埼玉県出身、パラバドミントンの小倉理恵(おぐら・りえ)を紹介する。

東京2020パラリンピックの新競技、パラバドミントンで初代チャンピオンを目指す小倉
東京2020パラリンピックの新競技、パラバドミントンで初代チャンピオンを目指す小倉【スポーツナビ】

 東京2020パラリンピックの新競技、パラバドミントン。その大舞台の試金石ともいえる8月の世界選手権で、シングルス・ダブルスともに表彰台に上ったのが、女子車いすWH2の小倉理恵(ブリヂストン)だ。


 彼女の持ち味は、素早いチェアワーク。トーナメントを勝ち上がるにつれ、そのキレとスピードは増し、小柄な体はコートでひときわ大きな輝きを放っていた。

パラバドに出会った理由は“太ったから”

 埼玉県熊谷市出身。先天性多発性関節拘縮症で下半身の関節が拘縮(こうしゅく)する障害があり、現在は車いすで生活する。幼いころは歩いていたといい、水泳を習ったり、少年サッカーをしていた2歳年上の兄と一緒にボールを追いかけるなど、活発な少女時代を過ごした。


 中学から都内の豊島岡女子学園に通い、高校時代に一家で東京へ引っ越した。


 パラバドミントンに出会ったのは、東京の暮らしに慣れ始めた16歳の時。医者からスポーツをするよう勧められ、障害者スポーツセンターを紹介されたのがきっかけだ。


「当時はクラッチを使って歩いていたんですが、中学3年から高校1年にかけて太ってしまって。学校帰りに誘惑が多くて、ファストフード店に寄ってアイスクリームやポテトを食べながら帰ってたんです。そうしたらお医者さんに、膝への負担が大きくなるから、太ると歩ける寿命がどんどん短くなるよと言われて、センターに通い始めたんです」と苦笑いをしながら振り返る。


 センターではまず、卓球や水泳、テニスなど一通りのスポーツを体験。卓球をするには施設の2階へ移動する必要があったが、バドミントンはトレーニングジムから体育館への動線がスムーズで、天候に左右されないこと、2人いればプレーができる気軽さに魅力を感じ、取り組み始めた。そして、センターで活動しているパラバドミントンクラブで、のちの夫となる男性と出会い、大学時代に学生結婚し、1男1女をもうけた。

育児と競技を両立しながら、東京パラの表彰台を狙う

2018年のダイハツ日本障がい者バドミントン選手権では準優勝に輝く
2018年のダイハツ日本障がい者バドミントン選手権では準優勝に輝く【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 社会人になってから本格的に競技に取り組み始め、2011年の日本選手権に初出場。翌年、シングルスで3位に入ると、13年はついにシングルスで頂点に立ち、ダブルスでも準優勝の成績を残した。現在、長男は中学1年、長女は小学4年となり、小倉は夫や子どもたちのエールを受けながら、家事と育児、仕事、そして選手を両立し、東京パラの表彰台を狙っている。


 長男はバドミントン強豪校で部活動に勤しみ、長女もプールと一緒にバドミントンを楽しんでおり、それが小倉にとって励みになっているとか。


「ただ近頃、ふたりとも反抗期というか、口答えが多くなってきて少し寂しいな」と小倉。だが、世界選手権から帰国して成績を報告すると、ふたりはとても喜んでくれたそうだ。「今回、健常の世界選手権と同時開催で、男子の桃田賢斗選手や女子の奥原希望選手が表彰台でメダルと大会マスコットのぬいぐるみ“バジル君”を持っていたのをテレビで見ていたようです。それで私も同じものを持って帰ってきたので、『あ! 桃田選手が持ってたやつだよね⁉』と、メダルよりバジル君が大人気でした」と笑う。

荒木美晴

関西在住のフリーライター。1998年長野パラリンピックで観戦したアイススレッジホッケーの迫力に「ズキュン!」と心を打ち抜かれ、追っかけをスタート。以来、障害者スポーツ全般の魅力に取り付かれ、国内外の大会を取材している。日本における障スポ競技の普及を願いつつマイペースに活動中

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