ライトファンでもラグビーW杯を楽しむ術 今大会の日本には「期待していい」

宇都宮徹壱

サッカーファンがラグビーW杯を楽しむために

ルールをよく知らないファンでもラグビーW杯を楽しめるヒントを探る 【写真:アフロ】

 いよいよラグビーワールドカップ(W杯)日本大会2019の開幕当日となった。これから11月2日までの44日間に全48試合が開催される。このうちプール予選40試合が、サッカーで言うところのグループステージで、4つのプールに5チームずつが振り分けられ、上位2チーム合計8チームが決勝トーナメントに進出する。私はこのうち日本戦4試合を含む11試合を観戦する予定だが、実はチケットではなく記者席に座らせていただくことになった。取材パスが、無事に下りたのである。

 私はこれまで20年以上、サッカーばかりを追いかけてきた人間だ。サッカーのW杯は1998年大会から6大会連続で現地取材(パスが下りるようになったのは2002年大会から)。一方でラグビーについては、これまでずっと不幸なすれ違いを繰り返してきた。4年前のW杯で日本が南アフリカに奇跡の勝利を演じた試合も、サッカーの取材で大阪から四国に向かうフェリーで移動中だったため、歓喜の瞬間には立ち会っていない。上陸後にSNSを見たら、いきなりタイムラインがラグビー一色になって驚いたものである。

 そんな私ではあるが、今回のラグビーW杯については「サッカーファンはどのように楽しめばいいのだろうか?」という問題提起をずっと抱えていた。もともとサッカーとラグビーは、1863年に枝分かれするまで同じフットボールであった。その後はそれぞれ進化を遂げて今に至っているが、同じルーツゆえに共通点は少なくないし、逆にサッカーの視点からラグビーを見ることでの発見もあるかもしれない。そうした発想が起点となり、今回のラグビーW杯取材を思い立った次第である。

 そんなわけで、まずはルールをよく知らないサッカーファンでも楽しめるヒントを探るべく、長年にわたってラグビーの現場を取材してきた松瀬学さんにお話を伺うことにした。松瀬さんは1960年生まれの長崎県出身。中学3年からラグビーを始め、早稲田大学を経て共同通信社に入社後は一貫してスポーツ畑を歩んできた。ラグビーW杯は1987年の第1回大会からすべて取材。その後フリーに転身し、近著『ノーサイドに乾杯!-ラグビーのチカラを信じて』(論創社)など、ラグビーに関する著書も多数発表している。今回は、日本代表のW杯での挑戦の歴史と今大会の展望について、松瀬さんの言葉をご紹介することにしたい。

世界との差を見せつけられたラグビーW杯

長年にわたってラグビーの現場を取材してきた松瀬学さんに、日本代表のW杯での挑戦の歴史と今大会の展望についてを聞いた 【宇都宮徹壱】

 日本は第1回のW杯に出場して3戦全敗。正直なところ、自分たちの力が世界のどのあたりなのか、よく分かっていない状態でしたね。今でこそ海外とのテストマッチは年に3〜4試合ありますが、80年代だと年に1回あるかどうかという感じ。しかもニュージーランドとかイングランドといった格上とは、なかなか試合をさせてもらえませんでした。日本はこの4年間で、ティア1(世界トップ10)とのテストマッチを重ねていますけれど、僕に言わせればW杯を日本で開催するのと同じくらいの奇跡ですよ。

 当時の日本にとって、世界の強豪と対戦できる機会がW杯だったわけです。とりあえず「日本の強みを出していこう」と言っても、何が強みなのかつかみかねている。それに当時は完全なアマチュアだったから、本番前の合宿なんて1週間くらいでした。世界に勝つために、日本が戦略的な計画を作るようになったのが、91年のW杯でチームを率いた宿澤(広朗)さん。バンカー(銀行員)の戦略家で、日本はコンタクトエリアで勝負しても勝てないから、俊敏性を生かしたラグビーをこの頃から模索し始めます。

 91年大会はジンバブエにW杯初勝利を挙げますが、4年後の95年大会ではニュージーランドに17−145という歴史的大敗を喫します。ちょうどこの頃から、世界のラグビーはプロ化していくのですが、日本はずっとアマチュアのまま。そんな中で97年に監督に就任したのが平尾誠二さんでした。平尾さんは世界に勝つために、「平尾プロジェクト」というのを立ち上げるんですね。科学的なトレーニングを導入したり、アンドリュー・マコーミックやジェイミー・ジョセフといったニュージーランド出身の選手を代表に入れたり。

 そうして臨んだ99年大会は、日本が初めて「勝ちにいく」W杯でした。ところがウェールズ、サモア、アルゼンチンにコテンパンにやられるわけです。スコア的には95年のニュージーランド戦が衝撃的でしたけれど、あの時は勝てるとは到底思えませんでしたから。むしろ「勝ちにいく」姿勢で挑みながら、世界との差を見せつけられた99年大会のほうが、個人的にはショックでしたね。2003年大会も頑張ったけれど、やはり世界は遠かった。そうした状況は、4年前の15年大会まで続くことになります。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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