配置転換を経て石田健大は「吹っ切れた」
先を見ない“大人の投球”で中継ぎの柱に

「誰かが動かないといけないチーム状況」

先発、中継ぎと配置転換を繰り返した石田。そこで得た「気付き」とは
先発、中継ぎと配置転換を繰り返した石田。そこで得た「気付き」とは【(C)YDB】

 緊迫感が満ちる試合後半、チームの危機にマウンドへ向かう左腕にはヒーローの趣がある。


 8月29日の東京ヤクルト戦は、1点ビハインドの6回1アウト二、三塁。内野ゴロの間に1点を失うも、続く打者から見逃し三振を奪い、傷口を広げなかった。チームは逆転勝利した。


 翌30日の広島戦は、3点リードの8回1アウト満塁。やはり内野ゴロの間に1点を失ったが、続く打者から空振り三振を奪い、反撃の芽を摘み取った。チームはそのまま逃げ切った。


 横浜DeNAの石田健大はいま、ブルペン陣に加わって、重い役目を担っている。そもそも、現在地に至る経緯がいささか英雄的だ。


 今シーズン前半戦、中継ぎとして23試合に登板した。胸の奥に、先発復帰の願いはしまい込んでいた。後半戦の開幕に合わせ、念願は成就する。先発のマウンドを託された6試合で3勝0敗。週に1度のローテーションを、1カ月余り、律儀に守り通した。


 ところが、その間にブルペンの左腕が手薄になった。明確に書けば、エスコバーただ1人になってしまった。ラミレス監督に呼び出された石田は、「シーズンの残り20数試合、中継ぎを担ってくれ」と伝えられた。


 ようやく戻れた先発の座。結果も残した。それなのに――。

 そんな思いはゼロではなかっただろう。だが、石田は迷わずうなずいた。


「筒香(嘉智)さんがレフトからサードに回ったように、誰かが動かないといけないチーム状況。先発でシーズンを終えたい気持ちもありましたけど、チームが勝つために自分にできることをやるのがベストかな、と」

中継ぎで“いい感じ”を取り戻す

 昨シーズンの石田は、先発した15試合で1勝7敗と、挫折した(救援登板を含む通算では3勝7敗)。間に挟んだ中継ぎでの調整登板は、先発時の結果に目に見える形では跳ね返ってこなかった。


 ただ、改善の予兆、あるいは発見はあった。最も分かりやすいのが球速だ。昨年夏、中継ぎで登板した石田の直球は150キロにたびたび迫る。それは、「もともと150キロも出るような球を投げていなかった」と語る石田本人にとってだけでなく、指揮官にも気付きを与える。簡単にいえば、「こんなにもパワフルなストレートを投げられるのか」という驚きに近い感情だ。


 ラミレス監督はそこにリリーバーとしての適性を見いだし、やがて「あのボールを初回から投げ続けられるのなら」と、先発復帰の要件として認識し始める。一方の石田は、昨夏から今シーズン前半に連なる中継ぎとしての経験を、次のように振り返る。


「去年は、中継ぎで投げること自体がほぼ初めてで、探り探りな感じはありました。でも、その中で“いい感じ”を取り戻した。去年、今年と徐々にですけど、自分が求めているボールを投げられるようになってきたんじゃないかなと思います」


“いい感じ”を取り戻せたのはなぜか。答えのヒントは、「吹っ切れた」という石田の言葉に隠されている気がする。球団が発行する観戦ガイドに掲載されたインタビューでも、石田のセリフに同じ表現を見つけることができる。


『過去2年間、自分の中に不安要素を持ち続けながら投げていたものが、今季は中継ぎに入ってから、いろんなものを吹っ切れました。気持ちの事も、生活面も、腕の振りにしてもそうです。毎日ブルペンに入る中継ぎは考えすぎていたらできない』(『BLUE PRINT』2019 ISSUE FOURより引用)


 中継ぎは、タイトだ。登板日に合わせた調整ではなく、連日、いつ来るか知れない登板機会に備え続けなければならない。マウンドに上がっても、大抵は1イニング。タイトなればこそ一点集中を要求される仕事の特性が、おそらくは石田に好影響を及ぼした。


 フィジカル的には、出力の向上。メンタル的には、切り替え、そして迷いや不安からの半ば強制的な解放。それらが「吹っ切れた」の表現につながる。


 思考はおのずと、同じことを先発でできるかどうか、との問いに向く。ラミレス監督からの要求にどう応えるか、と言い換えることもできる。石田は、先発で投げていた時の自分の姿を見返した。


「自分の中では、先を見て投げている意識はなかった。でも、そういう(ペース配分したような)ボールが初回からいってしまっていたことは、自分でも見ていて分かりました」


 意識と実際の行動とのギャップに気づけたことが、中継ぎという調整期間のラストピースだった。のっけからフルスロットルでいく。その意識を持つだけでなく、本当にそれを実行する。

日比野恭三
日比野恭三

1981年、宮崎県生まれ。2010年より『Number』編集部の所属となり、同誌の編集および執筆に従事。6年間の在籍を経て2016年、フリーに。野球やボクシングを中心とした各種競技、またスポーツビジネスを中心的なフィールドとして活動中。

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