- 室井昌也
- 2019年7月22日(月) 17:30
2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で韓国代表として活躍し、翌10年に福岡ソフトバンクでプレーした三塁手、KIAタイガースの李ボム浩(イ・ボムホ)が7月13日のハンファ・イーグルス戦を最後に現役生活に別れを告げた。
20年にわたる李ボム浩の現役生活。それを語る上で欠かせないキーワードが4つある。
1:「イケメン」

「えっ!?」という反応を見せる人は少なくないだろう。しかし李ボム浩の応援歌にはイケメン、ハンサムを意味する、「チャル センギョッタ!」という合いの手とともに「イ・ボムホ!」の大合唱が入る。ある種の反語表現でもあるが、それは後述するとして、ソフトバンクでは彼のルックスをストレートにいじっていたと当時のチームメイトは話す。
「僕らはボムちゃんを岩尾さん(望、フットボールアワー)に似ているということで“ブサイク”と呼んでいじっていました。僕はどちらかというと外国人選手とはあまり話せなくて苦手だったんですが、ボムちゃんはどんどん近寄ってきてくれるのでうれしかったです」
こう当時を懐かしむのは、ソフトバンク、横浜DeNAで外野手としてプレーし、引退後は故郷・宮崎の果実や野菜の販売等を行っている井手正太郎氏(株式会社ニーロク代表取締役)だ。

井手氏は李ボム浩より2歳年下。上下関係が厳しい韓国では想像できない後輩の先輩いじりだが、李ボム浩はチームメートと打ち解けようと、明るくいじられながらコミュニケーションを深める努力をしていた。井手氏はこう振り返る。
「WBCでの活躍を見ていてすごいスターが来ると構えていたんですが、これまで一緒にプレーした数多くの外国人選手の中でも、一番と言ってもいいくらいフレンドリーでした」

ソフトバンク時代は松田宣浩、ホセ・オーティズという既存の三塁手との厳しいポジション争いもあり48試合、打率2割2分6厘、4本塁打、8打点と満足な結果を残すことはできず、翌11年に韓国球界に復帰している。しかし李ボム浩は日本でプレーした成果をこう話す。
「僕の野球人生は日本に行く前とその後で分けられる。日本では選手たちが持つ野球への情熱を感じたし、韓国に帰ってからはその経験を生かして、選手生活を送れたと思う」
日本で「イケメン」と呼ばれることはなかったが、「ナイスガイ」であることは間違いなかった。
2:「花ボムホ」

李ボム浩の韓国での代表的な愛称だ。それは李ボム浩似のコメディアンがオムニバスコントでイケメンキャラを演じたネタ、「花より美しい」に由来する。
このニックネームが広まった当初は、李ボム浩の打席で中継局が花飾りのフレームを画面に表示するなど、悪ふざけの印象もあったが、次第にこの唯一無二の呼び名は定着した。
本人に「花ボムホ」のことを向けると、以前はあまりいい顔をしなかった。しかし近年は完全に受け入れ、引退記念のエンブレムには花柄があしらわれ、引退試合ではファンが思い思いのお花グッズを手に李ボム浩に声援を送った。そして試合後の場内一周ではフラワーシャワーの演出もあった。