五十嵐亮太、戦力外通告からの復活劇 契機となった「ロケットボーイズ」再結成
今季から古巣・ヤクルトに移籍した五十嵐。現在は抹消中だが、夏場に向けて活躍が期待されている 【写真は共同】
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6年間在籍したソフトバンクを戦力外に
ピッチャーになったときからずっと、それが五十嵐のモチベーションだった。歩んできた時代ごとに、“渾身のストレート”は姿を変えてきたけれど、その1球にかける思いだけは、同じだった。そして39歳のオフ。五十嵐は6年間在籍したソフトバンクから、戦力外通告を受けた。
「あのときは心残りとか、不完全燃焼とか、そんな気持ちはありませんでした。僕はまだ技術的にも体力的にも、“やれる”と思っていたから」
すぐ現役続行の意思を表明したが、他球団から声は掛からなかった。改めて、厳しい現実を突きつけられたのだ。
「もう、日本でプレーするのは難しいかなと思いました。そこでアメリカ、メキシコといった海外のチームも視野に入れて、移籍先を探し始めました。ただ、それがいつ見つかるか分からない不安はありました。自分ではまだできると思っていても、チームが決まらなければどうしようもない。現役を諦めたくはないけど、心のどこかに20年以上プロでやってきた自分に納得するような気持ちもあった。いろいろな気持ちが混じり合い、とても不安定な時期でした」
石井コーチと二人三脚で取り組んだフォーム修正
春季キャンプでは思い通りの投球ができず苦しんでいた 【写真は共同】
「ウチに戻ってこないか?」
古巣とはいえ、チームを出て早10年。6年前、日本球界復帰の際にもヤクルトが獲得に動いたが、五十嵐はソフトバンクを選んだ。まさかの再オファーである。古巣の期待に応えようと、それから入団発表までの1カ月は練習にも一層、身が入った。
迎えた春季キャンプ。ブルペンでは、石井弘寿投手コーチが五十嵐の投球を見つめていた。かつて快速球を競い、2人合わせて「ロケットボーイズ」の愛称をもらった盟友であり、先輩だ。
「石井コーチは僕に気を遣ってくれたんだと思います。キャンプの間はある程度、僕に調整を任せてくれた。ところが、なかなか本来のボールが戻ってこない。いつ僕に声を掛けるか、適当な時期を見計らってくれたんでしょう。オープン戦が中盤になった頃、石井コーチと話し合い、そこから二人三脚でフォームの修正作業が始まりました」
ここ3年ほど、五十嵐は太ももの肉離れや腰のヘルニアなど、度重なる故障に悩まされてきた。どこか1カ所故障すると、そこをかばうあまり、また別の箇所にずれが生じることがある。五十嵐も多分に漏れず、そうだった。
「どんな選手でも、100%いい状態でプレーできているときは少ないものです。どこか違和感があっても、変わらずプレーし続けるのがプロ。僕もここ数年、多少痛みがあっても、どこかでカバーしながら投げることを繰り返していました。自分が描いているベストのピッチングとは程遠いまま、悪く言えばごまかしながら投げてきた。それでフォームのずれが蓄積し、ピッチングが次第に崩れていったんですね」