連載:輝きを取り戻した男たち

秋吉亮が過ごした不本意な2年間 復活を誓う中、突然のトレード通告

前田恵

ヤクルトで5年リリーフとして活躍した秋吉(写真右)。2019年シーズン開幕前に日本ハムへ移籍、新天地でかつての輝きを取り戻す活躍を見せている 【写真は共同】

 秋吉亮は、プロ入り3年間で、自分の“居場所”を確立したはずだった。負け試合を締める中継ぎとして、勝ち試合をつなぐセットアッパーとして、やがてはチームのクローザーとして――。チームの信頼を得たからこそ、投げさせてもらえる場所。そして、そこで抑えたときに沸き起こるスタンドからの歓声と、チームメイトの称賛は、心地よかった。しかし、ある日右肩に異変が起こった。それからの2年間を、忸怩(じくじ)たる思いで過ごした秋吉。復活を期した2019年、思わぬ変化が待っていた。

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セットアッパーとして獅子奮迅の活躍

 赤ちゃんをあやすおもちゃ「『でんでん太鼓』の原理を生かしたイメージ」(秋吉)という変則投法。社会人・パナソニック時代までの先発から、東京ヤクルトスワローズでは主戦場をリリーフに移し、連日のようにブルペンへ向かった。

「最初は社会人時代と同じ、先発をやりたいなという気持ちもあったんです。だけど僕は右のサイドスローで、タイプ的にはリリーフ向きだし、肩ができるのも早い。先発から中継ぎに配置転換されたときは、むしろ中継ぎをやりたいと思うようになっていました」

 プロ入り2年目の15年には、セットアッパーとして球団記録となる74試合に登板し、優勝に貢献。16年にはブルペン陣随一の安定感を見せ、クローザーを務めた。

「1年目は何もわからず、ブルペンに行ったときからずっと集中していたんです。その経験が生かされて、2年目からは試合の展開を見ながら、気持ちの切り替えができるようになった。自分の出番が“ありそうだな”と思ったら、気持ちのスイッチを70%くらい入れるんです。で、やっぱりなさそうだったら、またスイッチをオフにして、試合を見る。まあ、そのときも気持ちがゼロになるほど、だら〜んとするわけではないんですけどね(笑)」

 1年目から登板を重ね、ホールドの付く場面、セーブの付く場面をそれぞれ経験し、リリーフのやりがいを実感した。緊迫する場面、マウンド上の自分と打席に立つバッター、双方の間にピーンと張り詰めた、緊張の糸。

「1点リードしながら先発がマウンドを降りた、ノーアウト満塁で回ってくることもある。そこまで頑張ってきた先発ピッチャーのためにも抑えなくちゃいけないし、もし打たれたらチームにとっても痛いですよね。逆にそこで抑えたときのやりがいは、リリーフをしているからこそ味わえる。嬉しい瞬間です」

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著者プロフィール

1963年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学在学中の85、86年、川崎球場でグラウンドガールを務める。卒業後、ベースボール・マガジン社で野球誌編集記者。91年シーズン限りで退社し、フリーライターに。野球、サッカーなど各種スポーツのほか、旅行、教育、犬関係も執筆。著書に『母たちのプロ野球』(中央公論新社)、『野球酒場』(ベースボール・マガジン社)ほか。編集協力に野村克也著『野村克也からの手紙』(ベースボール・マガジン社)ほか。豪州プロ野球リーグABLの取材歴は20年を超え、昨季よりABL公認でABL Japan公式サイト(http://abl-japan.com)を運営中。

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