連載:ライバルが語るイチローの抑え方

松坂大輔がイチローとの名勝負を振り返る 「自信が確信に変わった」日の秘話

前田恵
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「自信が確信に変わった」という松坂の名言は、イチローとの初対戦から生まれた 【写真は共同】

 「平成の怪物」松坂大輔は西武ライオンズの入団会見で、「対戦してみたいバッター」の筆頭に、イチローの名を挙げた。それもそのはず、横浜高時代は、いずれプロ野球で相まみえるであろう憧れの――そして「日本一のバッター」として、「自分だったら、どう抑えるか」対戦イメージを抱き続けてきたという。やがて日米両球界にまたがる対決となった、イチロー対松坂の名勝負。マウンドの上で、松坂は何を見て、何を考えたのか。

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「自信が確信に変わった」伝説の初対戦

――まずは初対戦(1999年5月16日=西武ドーム)の印象から教えてください。

 打席に入り、バットを構えたイチローさんを見たとき、自分がイメージする投球に対して、どこにでもバットが出てくるような……どこに投げてもミートされるんじゃないかなというイメージがパッと浮かびました。そんなバッター、後にも先にもいなかった。「すごいな、漫画に出てくる人みたいだな」と思いました。

――第1打席は変化球で追い込み、6球目をストレートで空振り三振。第2打席はやはり6球目をスライダーで見逃し三振。第3打席は速球で追い込んでの6球目、外のスライダーで空振り三振に切って取りました。さて第4打席。5球すべてストレートでいきましたが、やはり最後はすべてストレートで勝負したかったということですか?

 完全に力で抑えにいきましたね。力みまくっていましたが(笑)。マックスのスピードを出して抑えてやろうという気持ちがとても強かったのは覚えています。

――本当は4打席連続三振、狙っていました?

 三振は取りにいっていましたね。でも一方で、三振に取れるなんて思っていませんでした。やはり僕らからすると、イチローさんが三振する場面を見ることがなかなかなかったので、なんでもいいから打ち取りたい。僕の中ではヒットさえ打たせなければいいという意識はありました。その中で三振が取れれば、気持ちがよかったです。

――チームないしはバッテリーミーティングで、「イチロー対策」はあったのですか?
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著者プロフィール

1963年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学在学中の85、86年、川崎球場でグラウンドガールを務める。卒業後、ベースボール・マガジン社で野球誌編集記者。91年シーズン限りで退社し、フリーライターに。野球、サッカーなど各種スポーツのほか、旅行、教育、犬関係も執筆。著書に『母たちのプロ野球』(中央公論新社)、『野球酒場』(ベースボール・マガジン社)ほか。編集協力に野村克也著『野村克也からの手紙』(ベースボール・マガジン社)ほか。豪州プロ野球リーグABLの取材歴は20年を超え、昨季よりABL公認でABL Japan公式サイト(http://abl-japan.com)を運営中。

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