連載:イチロー取材記 駆け抜けた19年

イチローが伝えたかったこと 野球少年、そして挑戦するすべての人へ

丹羽政善

自分で可能性をつぶさないでほしい

イチローの言葉にはメッセージが込められている。子供たち、挑戦するすべての人に響くはずだ 【Getty Images】

キーワード:メッセージ

 伝えたいこと。特に子供たちや、自分と同じく体の小さな選手には、「自分で自分の可能性をつぶすな」と、折に触れて語りかけた。

 2004年10月1日、メジャーの年間最多安打記録を更新すると、野球少年にこう訴えた。

「こちらに来て強く思うことは体がでかいことにそんなに意味はない。ある程度の大きさというのはもちろん必要ですけれども、僕は見ての通りメジャーリーグに入ってしまえば一番ちっちゃい部類。日本では中間ぐらいでしたけど、決して大きな体ではない。でも、メジャーリーグでこの記録を作ることができた。これは日本の子供だけでなく、アメリカの子供もそうですけど、自分自身の可能性をつぶさないでほしい。そういうことは強く思いますね。日本にいたときよりもこちらに来て強く思いますね。あまりにも大きさに対する憧れや強さに対する憧れが大き過ぎて、自分の可能性をつぶしている人もたくさんいると思うんですよね。自分自身の持ってる能力を生かすこと、それができればすごく可能性は広がると思います」

 後年、イチローの活躍に刺激され、「こんな体の小さな自分でも、メジャーリーガーになれるんじゃないか」と思ったのがディー・ゴードン(マリナーズ)だった。

 3月21日の引退会見でも、子供たちにこんなメッセージを残した。

「野球だけでなくてもいいんですよね、始めるものは。自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つけられれば、それに向かって、エネルギーを注げるので。そういうものを早く見つけてほしいなと思います。それが見つかれば自分の前に立ちはだかる壁にも向かっていける、向かうことができると思いますね。それが見つけられないと、壁が出てくるとあきらめてしまうということがあると思うので。まあ、いろんなことにトライして。自分に向くか向かないかというよりも、自分が好きなものを見つけてほしいなと思います」

 今後、自分の記録を誰かが超えていくかもしれない。その選手にこうであってほしいと話している。日米通算ながらピート・ローズ(レッズなど)の通算最多安打を更新し、偉大な選手に並んだという実感は――という質問に対する答えだった。

「そのレベルにいるって、僕は思ってないですけどね。ただ、数字を残せば、人がそうなってくれる、というだけのことですよ。ただ、いろんな数字を残した人、偉大な数字を残した人、たくさんいますけど、その人が偉大な人間であるとは限らない。むしろ、反対の方が多いケースがあると僕は日米で思うし、だから(ポール・)モリターだったり、(デレク・)ジーターだったり、近いところで言えば、一緒にやった選手で言えば、すごいなと思う。だから、ちょっと狂気に満ちたところがないと、そういうことができない世界でもあると思うので、そんな人格者であったらできないっていうことも言えると思うんですよね。そんな中でも特別な人たちはいるので、是非、そういう人たちに、そういう種類の人たちにこの記録を抜いていってほしいと思いますよね」

 なお、引退会見の日、「最低でも50歳までは現役」と言ってきたが――という質問には、苦笑いしながらも、その答えにはやはりメッセージが込められていた。

「50まで……確かに、いや最低50までって本当に思ってたし。まあ、でもそれはかなわずで、有言不実行の男になってしまったわけですけど、でも、その表現をしてこなかったら、ここまでできなかったかもな、という思いもあります。だから、言葉にすること、難しいかもしれないけど、言葉にして表現することっていうのは、目標に近づくひとつの方法ではないかなと思っています」

 ちなみに2009年9月6日、50歳についてはこんな話をしている。

「50歳で200本は打っていたくないですよね。うん、そのことはもう、衰えていたいと思いますけど。50歳で30盗塁するのもどうかと思いますよ」

やりたいと思えば挑戦すればいい

キーワード:3.21

 引退会見では、多くの人がイチローの言葉に生で触れた。すでにいくつか紹介したが、こんな話もしている。それを最後に紹介したい。

 生きざまでファンに伝わっていたら……と思うことを聞かれると、「生きざま、というのは僕にはよく分からない」と言いつつも、「生き方」に置き換え、自分の信念を口にした。

「人より頑張ることなんて、とてもできないんですよね。あくまでも量りは自分の中にある。それで自分なりにその量りを使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと超えていくということを繰り返していく。そうするといつの日かこんな状態になっているんだ、っていう状態になって。

 だから少しずつの積み重ねが……それでしか自分を超えていけないと思うんですよね。何か一気に、何か高みに行こうとすると、今の自分の状態とやっぱりギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので。地道に進むしかない……。まあ、進むというか、進むだけではないですね、後退もしながら。あるときは後退しかしない時期もあると思うので。自分がやると決めたことを信じてやっていく。でもそれは正解とは限らないんですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど。

 でもそうやって遠回りすることでしか、何か本当の自分に出会えないというか、そんな気がしているので。そうやって自分なりに重ねてきたことを、今日のあのゲーム後、ファンの方の気持ちですよね。それを見たときに、ひょっとしたらそんなとこを見ていただいていたのかなと。それはうれしかったです」

 成功して何を得たのか、と問われると、たどり着いたのは意外なところだった。

「成功かどうかってよく分からないですよね。じゃあ、どっからが成功で、そうじゃないのかっていうのは、全く僕に判断はできない。成功っていう言葉は、だから僕は嫌いなんですけど。

 メジャーリーグに挑戦する……どの世界でもそうですね、新しい世界に挑戦するっていうことは、大変な勇気だと思うんですけど。でも成功……まあ、ここはあえて成功と表現しますけれど。成功すると思うからやってみたい、それができないと思うから行かない、という判断基準では、後悔を生むだろうなと思います。やりたいならやってみればいい。できると思うから行く、挑戦するのではなくて、やりたいと思えば挑戦すればいい。

 そのときにどんな結果が出ようとも、後悔はないと思うんですよね。自分なりの成功を勝ち取ったところで、じゃあ達成感があるのかと言ったら、それも疑問だと……僕には疑問なので。基本的にはやりたいと思ったことに向かっていきたいですよね。

 で、何を(得たか)。うーん、まあ、こんなものかなあという感覚ですかね」

 では貫いたもの、貫けたものは何か。
 
「野球のことを愛したことだと思います。これは変わることはなかったですね」

エピローグ

 5月3日、イチローは3Aタコマの球場にいた。打撃投手を務めたのは、開場の1時間以上も前。よってファンの目に触れることはなかった。

 しかし、午後6時にゲートが開いてしばらくすると、イチローのユニフォームを大事そうに抱えた少年が、クラブハウスの前で佇んでいた。

「今日、イチローが来たって聞いたんだけど。まだ、いるのかなぁ?」

 帰るところは誰も見ていない。そう伝えると、その少年は試合が始まってもしばらくクラブハウスの前を離れなかった。

 ただ、少し話していると、こんなことを言った。

「この球場には2つ出口があるから、そっちから出たのかも」

 ひっくり返りそうになった。出口はひとつと思い込み、こっちは午後5時過ぎから待っていた。思わず、カメラマンと顔を見合わせた。

 それでもあと少し、と粘っていると、もうひとつの出口の方を見にいった少年が、飛び跳ねるように走ってきた。

「イチローがいる! イチローがいる! ダウアウトにいる!」

 その嬉々とした表情に、イチローがメジャーリーグで残したものが映し出されていた。

<了>

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著者プロフィール

1967年、愛知県生まれ。立教大学経済学部卒業。出版社に勤務の後、95年秋に渡米。インディアナ州立大学スポーツマネージメント学部卒業。シアトルに居を構え、MLB、NBAなど現地のスポーツを精力的に取材し、コラムや記事の配信を行う。3月24日、日本経済新聞出版社より、「イチロー・フィールド」(野球を超えた人生哲学)を上梓する。

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