セナ・プロ確執を決定づけた紳士協定破り

1989年日本GP最終シケインで接触した2台のマクラーレン。セナはこの後コース復帰するも失格処分となりプロストが王者に【Getty Images】
アイルトン・セナ。その全盛期は1988年から91年にかけてのマクラーレン・ホンダ時代だ。89年までの2年間チームメートだったアラン・プロストとの争いはセナ・プロ時代とも呼ばれ、両者合わせて88年は16戦15勝、89年は16戦10勝と圧倒的な強さを見せた。それと平行する形で2人のドライバーによる確執は世界のF1ファンから注目を集めた。
88年、セナは自身初のワールドチャンピオンを日本GPで獲得したが、一方でプロストとマシンセットアップ情報を共有しないなど、2人の確執はエスカレートしていった。そして89年、その確執が完全に表面化する出来事があった。
89年。第2戦、サンマリノGP。ここでポールポジションを獲得したのはセナ。そしてレーススタート。2台のマクラーレンはなんの問題もなくセナが前のまま1コーナーを抜けていった。しかし、4周目にフェラーリのゲルハルト・ベルガーがコースアウト。マシンを大破しただけではなく、ガソリンタンクを破損して火災が発生するという大事故につながった。そのためレースは赤旗中断。再スタートを切ったのだが、今度はプロストが前に出る。チームは1周目の接触トラブルを避けるため、スタートが良かった方に1コーナーからトサコーナーまでの優先権を与える紳士協定を結ばせていたが、セナがこれを破った。破った理由は、「紳士協定には再スタートは含まれていない」というものだったが、この紳士協定破りが両者の確執を決定的なものにした。
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