“逆輸入騎手”夢のJRA舞台へ新たな挑戦「藤井勘一郎物語 第2章」

山本智行

偶然か必然か 多くの出会いに恵まれ

左胸には“Challenge”の文字……これまで計6カ国の競馬場で通算520勝以上をマークした 【写真:山本智行】

 これまでの騎手人生を振り返ると偶然と必然の出会いが折り重なる。さらに、そこに飽くなきチャレンジ精神とオープンマインドも加える必要がありそうだ。

「あのときの1キロと思ったことはないですね。回り道だったかもしれませんが、それによって多くの場所で騎乗することもでき、多くの人や馬と出会えた。外から見るとJRAは馬のレベル、充実した賞金面、施設などすべての面でメジャーリーグ。トップレベルでやりたいと年々思うようになっていました」

 振り出しのオーストラリアをはじめ、シンガポール、韓国、中国の内モンゴル自治区でも騎乗。日本では主に地方競馬の大井競馬、門別競馬場でプレーした。JRAでは2015年の札幌競馬場で1度だけ騎乗。「コパさんの馬」コパノミライでクローバー賞に乗り、11番人気9着だった。

 競馬場以外でもニューマーケットや北海道・浦河BTCなど英愛米を含む国内外の様々な施設で積極的に騎乗。「危険な南米以外はほぼ行っている。ヨーロッパに行ったとき、一度だけ嫁さんに切れかけられました」。トータルでは海外13カ国を訪問。オーストラリアで279勝、韓国での151勝など計6カ国の競馬場で通算520勝以上をマークしている。

「ボウマン、パートン……ステップアップしていくところも目の当たりにしている。彼らは腰を軽くして、いい場所、いい馬に乗りに行っている。ムチひとつでね。僕もいい馬に乗るためにジョッキーをしている。将来は日本の馬で海外の大きなレースも勝ちたい。やっぱり、ジャパンカップ。オーストラリアで乗っていたのでメルボルンカップも取りたいです」

 人柄なのだろう。相手が誰であれ、積極的に懐へ飛び込んだ。オーストラリア時代、減量の恩恵がなくなり、低迷したころには藤沢和雄調教師に「いいジョッキーはどこが違うんですか?」と電話で尋ねたことがある。

「そのとき、技術的な話が返ってくるかと思ったのですが、1秒ほど間があって“勝つことへの執念だな”と言われた。強く印象に残ってます」

 また“生ける伝説”的場文男騎手には大井競馬場への行き帰りのタクシーに同乗し、薫陶を受けた。「的場さんはいつもピュアだし、腰が低く、立ち居振る舞いがすばらしい。あと“目標がないとダメだよ”と言われたことも印象深いです」

 拠点にする栗東では持ち前の明るさでメディアの受けも上々。もちろん、馬主、調教師、厩舎スタッフとも良好な関係を築き、バックアップ態勢は整いつつある。

「やっぱり、ベースがあるのはありがたい。いまでも朝起きて、ここはどこだ?と思うことがあるぐらいですから」

騎手人生の転機 日本馬エスメラルディーナでの韓国重賞制覇

オリジナルジャンパーのバックプリントには思い出の馬エスメラルディーナ 【写真:山本智行】

 ターニングポイントには2015年、日本馬として初めて韓国の重賞トゥクソムカップを勝ったエスメラルディーナ(美浦・斎藤誠厩舎)を挙げた。これもノーザンファームで調教に騎乗していたおかげ。それと、そのときに韓国・ソウル競馬場を拠点にしていた巡り合わせもあった。

「JRAとの接点などなかったのに、これをきっかけに日本の関係者に僕の存在が伝わった」

 だから感謝の気持ちを込め、自身のオリジナルジャンパーのバックプリントにエスメラルディーナが描かれているほどだ。

 何を隠そう、筆者はこのレースを取材しており、恥ずかしながら「藤井勘一郎」というジョッキーを知ったのもこのときが初めてだった。その後は2016年のコリアカップをクリソライト(栗東・音無秀孝厩舎)で、2018年のコリアスプリントをモーニン(栗東・石坂正厩舎)で勝利。これら一連の好騎乗が少なからず、今回の騎手免許取得につながったのではないかとも思う。

トゥクソムCを勝った直後の1枚、藤井にとって大きな転機となる1勝だった 【写真:山本智行】

 ここに1枚の写真がある。エスメラルディーナがトゥクソムCを勝った直後のスリーショットだ。藤井騎手の向かって右隣にはシルクレーシングの米本昌史代表が映っている。

「今回、ブランノワールでチューリップ賞に乗せていただけるのも須貝(尚介)調教師と米本代表の理解があったおかげです」

冒険家の植村直己に感銘受ける

 言うまでもなく、藤井騎手は与えられたポジションで、いつもの仕事をこなしてきたわけではない。不安で不安定な日々の連続。就労ビザの申請から飛行機、宿泊、レンタカーの手配、さらに保険の加入手続きなど総て自分でこなした。骨折も3回。肩の靱帯を痛めたこともある。休めば、家族の生活を直撃する状況。そんなとき、心の支えのひとつになったのが持ち前の明るさと読書だった。

「野平(祐二)さんや藤沢さん、矢作さんの本。ときにドラッカーも読みました」。なかでも心を打たれたのがマッキンリー山中に消えた偉大なる冒険家・植村直己さんの関連本だ。

「厳しい自然を相手に生き残るためにどうするか? 犬ぞりの犬を練習させる話も出てきて、競馬に通じるものもある。興味深かったし、とにかく感動しました。翻って自分自身、苦労したとは思わないけれど、ジョッキーとして生き残ったことは誇れます」

 ジョッキーとして気になる存在としては武豊とデットーリの2人を挙げた。「キタサンブラックでもそう。勝つべくして勝つのが凄い。デットーリがドバイミレニアムで勝ったドバイワールドカップのビデオはテープがすり切れるほど観ました。騎乗姿が美しい。もはや芸術の域です」

ブランノワールでいきなり重賞デビュー

注目のオールドルーキーとあって、藤井のもとには取材が殺到していた 【写真:山本智行】

 いよいよ待ちに待ったデビュー戦だ。初日の2日は阪神競馬場で騎乗。実績を買われ、GIIチューリップ賞にエルフィンステークス2着だったブランノワール(栗東・須貝厩舎)とのコンビで挑む。デビューの当日に重賞に騎乗するのは1996年の福永祐一以来2人目ということもあり、取材が殺到していたのは言うまでもない。さらに翌週のGIIフィリーズレビューでは春菜賞で2勝目を挙げたココフィーユ(美浦・斎藤誠)の手綱も取る。

 そんな中、ブランノワーのル追い切りには2週連続で騎乗。「半馬身ほど控えて、最後は馬体を併せ、突き放した。素直だし、フットワークが軽く、反応がいい。過去のリプレーもチェックしました。阪神のマイルは向いているんじゃないですか」と好感触をつかむとともに、すでに自分の足で阪神競馬場の芝コースを実際に歩き、レースのイメージはできつつある。

「阪神マイルは強い馬が力を発揮できるレイアウト。型に嵌めずに臨機応変に対応したい」。準備と逆算。これも数多くの競馬場で騎乗してきた”藤井流”のひとつだ。

「思えば、昨年のいまごろは牧場で働いてた。それがいまは、こうして栗東にいて、取材も受けている。当日は北海道と奈良から家族が応援に来てくれます。ここからは競馬へ向け、気持ちを落ち着かせ、感覚を研ぎ澄ませて行く。JRAの芝にアジャストして行きたい」

 信条は「1頭入魂」と言う。好きな言葉は「塞翁が馬。水の如く、も哲学的でいいですね。それとやっぱりブルース・リー。そう、“考えるんじゃない、感じるんだ”」。最後は2人でハモった。さあ、藤井勘一郎の第2章。ドラマの幕が上がる。

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著者プロフィール

やまもと・ちこう。1964年岡山生まれ。スポーツ紙記者として競馬、プロ野球阪神・ソフトバンク、ゴルフ、ボクシング、アマ野球などを担当。各界に幅広い人脈を持つ。東京、大阪、福岡でレース部長。趣味は旅打ち、映画鑑賞、観劇。B'zの稲葉とは中高の同級生。

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