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騎手・武豊「4000勝」の数字が持つ意味
名手を突き動かす誇りと競馬愛、感謝の心
武豊がJRA通算4000勝を達成、その数字が持つ意味とは?
武豊がJRA通算4000勝を達成、その数字が持つ意味とは?【写真:有田徹】

 数々の記録を打ち立ててきた競馬界のレジェンド、武豊騎手(49)が空前絶後のJRA通算4000勝を達成した。9月29日、阪神競馬第10レースの芦屋川特別で4番人気のメイショウカズヒメ(牝4=南井)に騎乗して1着。1987年3月のデビュー以来31年6カ月、2万1235戦目での“大台”到達だった。その数字の持つ意味とは。

王貞治、イチローに匹敵する偉業

 11年の時を経て今度も歴史の目撃者になる幸運に恵まれた。通算4000勝のメモリアルゴールは9月29日の阪神第10レース。前半に2勝し、王手を掛けると名手らしい完璧な手綱さばきで勝利に導いた。


「きょうできればいいと思っていた。長年多くの方々に支えられ、多くの人、馬に恵まれ、ここまで来られた。大変うれしく思います」


 これが武豊の第一声だった。ホッとした表情が印象的だった。長年お世話になっている“メイショウ”の勝負服で決めるあたりはさすが。レース直前には快挙を祝うかのように雨が上がり、スタンドからはGIレースさながらの歓声がわき起こった。

【写真:有田徹】
【写真:有田徹】
武豊自身が長年お世話になっている“メイショウ”での区切りの1勝、スタンドはGIレースのような盛り上がりだった
武豊自身が長年お世話になっている“メイショウ”での区切りの1勝、スタンドはGIレースのような盛り上がりだった【写真:有田徹】

 確かに、とてつもない記録だ。歴代2位は当時58歳の岡部幸雄元騎手が37年10カ月かけて積み上げた2943勝。これを2007年7月にデビューから20年4カ月となる38歳時にスピード更新すると、そこから道なき道を歩み、1000勝以上を加えた。


「でも、これで終わりじゃない。騎手としてもっともっと成長したい」


 ジャンルは違えど、私には少年のころの憧れでもあった“世界のホームラン王”王貞治の868本塁打、“孤高の天才”イチローの日米通算4367安打に匹敵する偉業と思える。


 何しろ、1987年3月にデビューし、89年から2008年の20年間で実に18回の年間最多勝利をマーク。02年12月には1日8勝、05年には年間最多212勝を挙げている。その継続性とインパクトはプロ野球の大打者と比べても遜色ない。その功績はもはや、競馬界という枠を超え、人間国宝、国民栄誉賞級というと大げさか。


“求道、王ありて球道となる”


 いまは亡き作家の藤本義一さんが王貞治の快挙にふれ、こんなメッセージを送ったのを少年時代にスポーツ紙で見たことがある。武豊に当てはめると……。さしずめ、こんな感じかな。


“競べ馬、武ありて豊かになる”


 あまりにもベタ。必死で考えてこれかい、と言われそうだが、昭和から平成、そして次なる時代へ、彼の存在が日本の競馬を味わい深く、豊かなものにしてくれているのは間違いない。

凄さが詰まった3000勝から4000勝の10年10カ月

 とにかく、彼は人間性も豊か。なかでも、私の心を動かすのが3000勝から4000勝への道のりだ。この間10年10カ月。黄金期とも言える2000勝から3000勝がわずか5年2カ月だから実に倍以上もかかっている。しかし、この歳月に彼の凄さが詰まっていると私は感じる。


 人生は輝き続けるのは難しい。いかなる天才だってそう。いや、もしかすると光が強いからこそ、影も濃くなるかもしれない。悪いときにいかに耐え、どうしのぐのか。そこに人としての総合力、人間力のようなものが問われる。

不遇の時代を耐えたからこそ、キズナ、キタサンブラック(写真)のような名馬との出会いがあった
不遇の時代を耐えたからこそ、キズナ、キタサンブラック(写真)のような名馬との出会いがあった【写真:中原義史】

 特に苦しい時間帯があった。ケガをし、騎乗数も騎乗馬の質も低下する悪循環。10年69勝、11年64勝となり、12年には自己ワーストの56勝まで落ち込んだ。イチローが50安打に終わったようなものだ。だが、彼は他人のせいなどせず、自暴自棄にもならず、その日に備えつつ、雲が晴れるのを待った。それがキズナ、キタサンブラックとの邂逅につながる。ときに理不尽さに耐え、自分の道を突き進む。これって、できそうで、できるもんでもない。


 こんなとき、ふっと浮かぶのがデビュー時の名キャッチコピーだ。


「柔らかな鋼」


 これは武豊の騎乗フォームを表現するものだったが、彼の心のありようにも当てはまる。自分でコントロールできるものとそうでないものを精査。できないものは受け流し、できるものにはとことんこだわり、努力を惜しまない。10年毎日杯での落馬後に専属トレーナーの長谷川聡氏と相談しながら“肉体改造”に取り組み、復活に備えたのも一例だ。


「ケガの時も多くの人にサポートしてもらって。30年以上、いま騎手ができているのがうれしい」

山本智行

やまもと・ちこう。1964年岡山生まれ。スポーツ紙記者として競馬、プロ野球阪神・ソフトバンク、ゴルフ、ボクシング、アマ野球などを担当。各界に幅広い人脈を持つ。東京、大阪、福岡でレース部長。趣味は旅打ち、映画鑑賞、観劇。B'zの稲葉とは中高の同級生。

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