騎手・武豊「4000勝」の数字が持つ意味 名手を突き動かす誇りと競馬愛、感謝の心
武豊がJRA通算4000勝を達成、その数字が持つ意味とは? 【写真:有田徹】
王貞治、イチローに匹敵する偉業
「きょうできればいいと思っていた。長年多くの方々に支えられ、多くの人、馬に恵まれ、ここまで来られた。大変うれしく思います」
これが武豊の第一声だった。ホッとした表情が印象的だった。長年お世話になっている“メイショウ”の勝負服で決めるあたりはさすが。レース直前には快挙を祝うかのように雨が上がり、スタンドからはGIレースさながらの歓声がわき起こった。
【写真:有田徹】
【写真:有田徹】
武豊自身が長年お世話になっている“メイショウ”での区切りの1勝、スタンドはGIレースのような盛り上がりだった 【写真:有田徹】
「でも、これで終わりじゃない。騎手としてもっともっと成長したい」
ジャンルは違えど、私には少年のころの憧れでもあった“世界のホームラン王”王貞治の868本塁打、“孤高の天才”イチローの日米通算4367安打に匹敵する偉業と思える。
何しろ、1987年3月にデビューし、89年から2008年の20年間で実に18回の年間最多勝利をマーク。02年12月には1日8勝、05年には年間最多212勝を挙げている。その継続性とインパクトはプロ野球の大打者と比べても遜色ない。その功績はもはや、競馬界という枠を超え、人間国宝、国民栄誉賞級というと大げさか。
“求道、王ありて球道となる”
いまは亡き作家の藤本義一さんが王貞治の快挙にふれ、こんなメッセージを送ったのを少年時代にスポーツ紙で見たことがある。武豊に当てはめると……。さしずめ、こんな感じかな。
“競べ馬、武ありて豊かになる”
あまりにもベタ。必死で考えてこれかい、と言われそうだが、昭和から平成、そして次なる時代へ、彼の存在が日本の競馬を味わい深く、豊かなものにしてくれているのは間違いない。
凄さが詰まった3000勝から4000勝の10年10カ月
人生は輝き続けるのは難しい。いかなる天才だってそう。いや、もしかすると光が強いからこそ、影も濃くなるかもしれない。悪いときにいかに耐え、どうしのぐのか。そこに人としての総合力、人間力のようなものが問われる。
不遇の時代を耐えたからこそ、キズナ、キタサンブラック(写真)のような名馬との出会いがあった 【写真:中原義史】
こんなとき、ふっと浮かぶのがデビュー時の名キャッチコピーだ。
「柔らかな鋼」
これは武豊の騎乗フォームを表現するものだったが、彼の心のありようにも当てはまる。自分でコントロールできるものとそうでないものを精査。できないものは受け流し、できるものにはとことんこだわり、努力を惜しまない。10年毎日杯での落馬後に専属トレーナーの長谷川聡氏と相談しながら“肉体改造”に取り組み、復活に備えたのも一例だ。
「ケガの時も多くの人にサポートしてもらって。30年以上、いま騎手ができているのがうれしい」